第15回 竹之内大輔さん |
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●ビジネスの仕組みを学ぶ それだけあこがれて入った社会工学科でしたが、2年生のとき、社会工学の学問としての未熟さに絶望してしまいました。生まれてから40年も経つような学問なのに、稚拙で全く洗練されていなかったのです。 これは学んでも意味がないなと思い、ほとんど授業を受けなくなりました。社会工学という学問に完全に見切りをつけてしまったのです。 それからは、社会工学という傘の中で勉強するのをやめて、自分の知りたいことを勉強するというスタンスに変えました。他の学部や他の大学の授業も受けました。 そんななか、早いうちに社会の仕組み、特にビジネスの仕組みを知る必要があるなと考えるようになりました。ビジネスの仕組みを理解しない限り、組織体の運営について知ることはできないと思ったのです。 そして、3年生のときにコンサルティング会社でインターンをしました。その後、戦略コンサルティング会社に内定をもらい、大学を卒業後2年間そこで働きました。 当時、外資系のコンサルティングファームには同世代の頭のいい人たちがたくさん集まっていました。同期の中には、少なくとも自分より頭がいいと思える人がたくさんいて、コンプレックスを感じることもありましたが、とても刺激的でありがたいことでした。 私が一緒に働いていたチームの人たちもとても優秀でした。仕事ができるというだけではなく、とても教養のある人たちで、お昼を一緒に食べに行くと、よく数学や哲学の話をしていました。 私は2年で会社を辞めて大学院へ行ったのですが、そのきっかけはお昼時の会話でした。 そのときはアニメ『攻殻機動隊』の話をしていました。『攻殻機動隊』は、人間の体が機械化していくなかで、どこまで魂が保たれるのかということがテーマになっているのですが、私たちも同じような議論をしていたところ、上司に「そんなのユクスキュルが何十年も前に同じこと考えてたよ」と言われました。私はユクスキュルという名を聞いたこともなくて、大学4年間でそれなりに勉強してきたつもりでいた自分がいかに無学で教養が足りないかを突き付けられたのです。 これは勉強し直す必要があると思い、会社を辞めて東工大の大学院に行くことにしました。 ●衝撃的な一冊との出会い もうひとつ、会社を辞めて大学院へ行くきっかけとして、私の人生の転機と言える本との出会いがありました。郡司ペギオ幸夫さんの『原生計算と存在論的観測』という本なのですが、これを読んだときに、私には書いてあることが何ひとつ分からなかったのです。私にとって初めての読書体験でした。ただ唯一、ここに本当のこと、すごく大切なことが書いてあることだけは分かりました。この本には、自分が人生を賭して理解するべき何かが書いてあるんだと思ったのです。 大学院に入り直したばかりの時期、まずこの本が理解できないことには始まらないと思い、3カ月間ずっと、家からほとんど出ずにこの本を読み続けました。膨大な註に上げられている参考文献も含めて、何度も何度も読み返して、3カ月経ったときにようやくこの本に書かれていることが理解できるようになりました。 大学院に在学した5年間は、このとき「分かった!」と思ったことが本当に分かっているんだろうかということを確認し続けた5年間だったと思います。論文を発表することもありましたが、結局は郡司さんの後追いでしかありませんでした。 当時郡司さんのいた神戸大学へ行き、郡司さんの下で学ぶ選択肢もあったのですが、それをすると郡司さんが言うことを上辺だけで分かった気になってしまうし、郡司さんを超えることができない気がして、郡司さんに近づかず、それでも郡司さんを超えようと5年間研究を続けました。 ●人工知能でいこう! 大学院では、秩序とは、生命とは、意識とは、知能とは何かという問題を研究しました。私は、5年間の研究の果てに、この問いに答えを与えるには、私たちが意識を持っていると認識できるものを作るしかないと考えるようになりました。 それが人工知能というわけです。大学院の研究室では、のちに創業のパートナーになる小橋という仲間を得て、ふたりで「人工知能を自分たちで作らないと、自分たちの知りたいことは知ることはできないね」とよく話し合っていました。 ところが、大学院在学中の29歳のとき、諸々の事情で貧乏研究者を続けられなくなってしまいました。働かなければならなくなったので、いったん研究をストップして、Webマーケティングのコンサルティング会社で営業のリーダーとして 約4年間勤めました。 ある程度安定した頃、自分でビジネスを始めたいという気持ちもあって、2015年の夏に会社を辞めて起業の準備を始めました。起業はやはり自分の強みである人工知能でやりたいと思っていたのですが、幸運なことに、私が研究から離れていた2010年~2015年の間に、アルゴリズムや計算リソースなど、技術面でいくつかのブレイクスルーが起きていました。 人工知能の面では、いわゆるディープラーニングと呼ばれるものの成果が2010年当時では考えられない程に進歩していました。また計算資源の面では、当時は大学のスーパーコンピュータを回さないといけないような計算でも、GPUというプロセッサを積めばできるようになっていました。大規模な設備がなくても、自分たちが磨き上げてきた理論・モデルを実装すれば、人工知能を手元で作ることができる環境になっていたのです。 更に幸運だったのは、当時筑波大学に勤めていた小橋が職場を移して東京に戻ってきたことでした。私は頻繁に彼に会いに行き、「一緒にやりたかったAIを作る会社をやろうよ」と彼を口説いて、2016年の4月にふたりで会社を始めました。 会社を始めるまでの1年間は、AIにはどういう市場があって、どういうユーザーサービスを作ったら自分たちが勝てるのかをひたすら考えました。そして行き着いたのが、大喜利AIです(笑)。 大喜利に行きついたのは、いろいろな理由があるのですが、はじめは天啓というか、ある朝起きて「お笑いだ!」とひらめいたんです(笑)。すぐ小橋に会いに行き「お笑いでやるよ!」と話しました。残りの時間は、大喜利でどういうものを作ったらいいのか、という準備に費やしました。
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