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●人の顔色をみて生活した少年時代 私は東京都で生まれ育ちました。子どもの頃は人との接し方がうまくわからなくて、嘘をついたり、人の気を一生懸命引こうとしたりしていました。今思えば、さみしさが強い子どもだったのかなと思います。小学4年生くらいまでは楽しかったのですが、だんだん、人の気を引けば引くほど孤立するようになってしまいました。 私は人の顔色をみながら生活するタイプだったので、自分のことをあまり考えていませんでした。将来のこともわからないし、今日その日が精一杯というか、将来へのイメージが何もなく、いわれたとおりに生きていました。 中学3年生の1学期までは成績がよかったのですが、2学期に内申点が大幅に落ちたことがきっかけで全く勉強しなくなり、受験した高校にほとんど落ちてしまいました。2次募集でやっと引っかかる学校があり、暴力が激しいという噂の都立高校を避けて私立高校にすべり込んだという感じでした。どの高校に入りたいという意志はありませんでした。 高校は授業の進度が遅く、周りの同級生も勉強を意識していませんでした。友だちがたくさんできたので、彼らとよく遊んでいました。親に内緒で夜の池袋に行くこともありましたね。勉強はしませんでしたが、友だちがたくさんできたことで、中学までの生きづらさがなくなっていきました。 今ふり返れば、成績のよくない高校に行けたことはよかったと思います。しんどい思いをした人も多くて、互いに相手の辛い気もちがわかる人たちでした。他の人より変わっていた自分がそこでは目立たなくなって、少し勉強に意識が向くようになりました。 とはいえ、人の顔色をみる性格は変わっていなかったので、将来のために勉強するというようなモチベーションは高くありませんでした。親から「医学部に行きなさい」といわれていたのですが、当時20倍といわれる難関ですから、低いモチベーションで受かるはずもありません。受験した大学にすべて落ちてしまい、浪人するのかなと思っていたところ、親から鍼灸の大学の願書を渡され、いわれるがままに受験をしたら運よく受かり、その大学に行くことになりました。 ●阪神大震災のボランティアで成長 大学が京都府にあり、私はひとり暮らしをすることになるのですが、そこで初めて自分の生活のスケジュールを自分で決める経験をしました。自分の生きる速度が初めて自分のものになったような気がしました。まるきり自由というわけではないですが、大学に入ってから自分の人生の選択をすることを学び始めた気がします。 そんななか、阪神大震災が起こりました。私が住んでいた京都のアパートに大きなひびが入ったり、大学の友人が神戸に住んでいたりしたことで、震災はとても身近なことに感じました。震災1週間後に被災地に向かいました。 それから10か月くらいほとんど毎日神戸に通いました。おむつを運んだり、避難所に泊まらせていただきながら避難されている方々にマッサージをしたりするなかで、いろいろな人に出会っていろいろな考えを聞くという体験をしました。自分の知らなかったことや気づかなかったことを教えてもらうことも多く、一気に世界が広がるような感じがしました。毎日が精一杯で、悲しいという感情と、自分は生きているぞという充実感との両方を感じていました。 当時ボランティアにかかわる人たちは「友だちをたくさん作ることが大事だ」といっていました。いろいろなところでお互い助け合える友人をもって、生き延びていくことが大事だという意味も含まれていました。私はその言葉を実践しようと思い、それまで食わず嫌いをしていた障害の分野や環境の問題にも興味をもって、あちこち勉強をしに行きました。当時21歳の私は、たくさんの人と出会い、一緒にいて楽しい友だちが増えていくのが嬉しいと思っていました。 大学は4年間あったのですが、鍼灸の免許は3年で取れたので、4年目には大学生ながらに免許をもって鍼灸の仕事をすることができました。震災の縁もあって、人の家へ往診をして針を打つこともありました。そういった流れで、大学を卒業してからすぐに鍼灸院を開くことになりました。 ●医学部での挫折と旅 開業をして、2年間はいろいろなことに気もちが揺れながら仕事をしました。私はとても影響を受けやすいものですから、健康食品などの今思えば怪しい、嘘つきの商売も正しいものと信じ込んでいました。 あるとき、重いがん患者さんが、鍼灸が効くと本で書いてあるのを信じて私の鍼灸院へ来たことがありました。しかしその患者さんは結局亡くなってしまいました。私はそれがきっかけで、きちんと勉強して、何が本当で何が嘘なのかを見極めなくてはならないと思うようになりました。 初めて医学部に入りたいと思いました。その頃は分数の足し算もわからなくなっているような状態だったのですが、2年間勉強を続けて大学の医学部に入ることができました。それが26歳のときでした。 最初は医学部へ行けば何でも学べると思い、とても嬉しかったのを覚えています。難しい本を買って読み、授業も一番前に座ったのですが、講義は期待外れでした。素晴らしい講義をされる先生もいたのですが、多くの講義はとてもつまらなくて、この時間は何なんだろうと悩むようになってしまいました。 人生を変える覚悟で医学部に入ったぶん、落胆も大きく、入学から半年ほどで人生初めてのうつ病になってしまいました。気もちがすごく落ち込んでしまい、毎日死にたくなって、自分がコントロールできず、家で寝込むようになりました。私はそのとき自分の世界がすごく狭かったことに気づきました。本を読めばいろいろなことがわかるし、当時インターネットが広がり始めたこともあって、外に出なくても何でもわかると思い込んでしまっていたのです。 そんななか、人にいわれて一人で海外へ旅に行くことになりました。病み上がりな気もちのまま、自分でチケットを取ったこともなかったので、手続きもすべて自分で調べながらやりました。その過程で、一つひとつできることが増えていき、世界が広がっていくことがロールプレイングゲームのようで楽しくなりました。 最初の旅ではヨーロッパに行きました。宿もほとんど取らず、8か国をバックパッカーとして一周しました。そこでまたいろいろな世代、国籍のバックパッカーと出会った体験が私の助けになりました。ときには怒られたり、一緒にはしゃいだりしました。 ヨーロッパのイメージってイギリスやフランスのイメージですよね。でも東欧に入ってみると全然違うんです。建物は変わらないんですが、とても貧しくて、レストランでの食事代が西欧の半分しかしませんでした。自分の知っていることだけがすべてではないと知って、私は自分をしばっていたものから解放されていく気がしました。 この海外旅行をとおして、自分で旅を一つひとつ組み立てていくことで気もちが楽になる、という体験をしました。私はすっかり旅にはまって、大学の単位を取れるギリギリを計算して、学期の初めと終わりは授業を休んで最大限旅に費やしました。カンボジアを中心としたアジアの国々や、アフリカ、ヨーロッパを行ったり来たりしていました。
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