第30回 生物学者 青木淳一さん |
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●新種のダニに名前を付ける しかし,それからが大変でした。採集したダニを調べるといっても日本にはササラダニの専門家がいない。そこで著名なダニの研究家であるドイツのセルニック博士に手紙をせっせと書いては指導助言をしてもらっていました。また,当時は日本にはササラダニの載っている図鑑なんていうものもありませんから,ダニの掲載された欧米の図鑑や論文を探し出しては写真に撮ったり,撮影禁止の図書館ではひたすら模写していました。コピー機なんてものはありませんでしたからね。おかげで精密画を描くことは得意になりましたが,芸術的な油絵なんかが描けなくなってしまった。これは悲しいことですよ(笑)。 卒論では「日本産オニダニ科の分類学的研究」といったものを書きました。この卒論の中にぼくの発見した新種のオニダニもあるんですが,このオニダニに,お世話になった指導教官の山崎輝男先生への敬意を込め,「ヤマサキオニダニ」と名付けましたが,意に反して山崎先生はたいへんご機嫌ななめでした。「山崎鬼とは何ごとだ! おれがそんなにこわいか」というわけです(笑)。ちなみにぼくが研究を始めた当初,日本のササラダニは七種しか知られていませんでしたが,現在は約六百六十種が知られています。そのうちの約三百種はぼくが発見者であり,名付け親でもあります。獣とか鳥の新種が発見されるとテレビでも新聞でも大騒ぎするんですが,ダニだとほとんど虫,いや無視ですからね(笑)。 ぼくがこうしてダニの新種を発見しては,飽きもせずに名前を付けつづけていることには訳があります。トキは日本中から惜しまれつつ滅びていきました。可哀想だけれどもある意味幸せでもあります。ダニとて同じです。地球環境の悪化にともない,世界中である種のダニが誰に知られることもなく絶滅しているはずです。これではあまりにも悲しい。せめて地球生物の戸籍簿に「こんな形をしたこういうダニがいた」ということを記載してあげたいんです。人間の勝手な思いこみで,ダニにとってはうれしくもないかもしれないけれど,それがぼくの愛情でもあり,研究のエネルギー源でもあります。初めて自分の子どもに名前を付けたときもうれしかった。一度はでっかいものに名前を付けたかったからね(笑)。 ●女房と畳は古いほうがいい 最近の日本人にはダニ・ノイローゼの人が増えてきて,なんでもかんでもダニのせいにする人がいますが,これまでに知られている約六万種類のダニの中で,動物に寄生するダニは約一割しかいないんです。それもそのはずで,イギリスの砂岩の中から発見されたデボン紀のダニの化石が,これまでに発見されたものの中では一番古いんですが,それだけでも約三億年以上前から地球上に存在していたことがわかります。恐竜も獣も鳥もいませんから,寄生するにも相手がいない(笑)。寄生性のダニというのはずいぶん後になってから現れたものです。ぼくの研究対象であるササラダニのように,自由気ままに暮らしているのがダニ本来の姿なんです。 日本で人間の血を吸うダニはほんのわずか。それもネズミが天井裏を走り回っている旧日本家屋に住んでいる人がまれにイエダニに刺されるだけで,現在のマンションやアパートには,まず吸血性のダニはいません。いるのはコナダニやチリダニで,アレルギー体質の人が吸い込んでゼンソクになることもありますが,ほとんどの人にとっては無害なんです。二,三歳を過ぎた日本人なら誰しも数千匹のダニを生きたまま食べていますが,胃袋に入っても栄養になるだけです(笑)。ドイツのアルテンブルクという地方には,実際にダニを使ったチーズまであります。これはチーズコナダニというダニをかめの中に湧かし,その中にチーズを入れておく。しばらくするとレモンのような香りのするチーズができるそうです。食べるときにはポンポンとダニを振るい落としてから食べるらしいのですが,残念ながらいまだ食べる機会には恵まれていません(笑)。
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