第30回 生物学者 青木淳一さん

オーストラリアの50ドル札の片隅にササラダニのイラストを発見したときは驚きました(笑)
ダニで環境診断ができる
 北海道から沖縄まで,日本列島をマス目で区切り,車も人も入れないような場所も含めて,二千九百地点のダニを採集してきて気づいたことですが,同じ緯度,気温でも環境が違うとダニの種組成が全部違うんです。自然に人間が手を加えた瞬間から種組成ががらりと変わります。おまけに都市などの劣悪な環境下ではオスが姿を消し,メスだけで単為生殖するようにもなる。これは面白いと,自然林から人工林,大都会の道路の脇の植え込みから,デパートの屋上にへばりついている苔の中に生息するダニまで夢中になって採集しているうちに,重大なことに気づいたんですね。「そこに住んでいるダニの種組成を調べることによって,その場所の自然環境がどれくらい破壊されているかを知ることができる」と。
 つまりダニを指標動物として使い,環境評価や環境診断ができるわけです。これまでの環境診断では,オオタカがいて,サンショウウオがいて,ホタルがいると,そんな希少生物のあるなしで自然環境の状態を判断することが多かったわけですが,そういった生物はなかなか見つけることがむずかしい。それに希少生物の見つからなかった所ならどんどん自然破壊していいのかという問題もあります。その点,ダニなら個体数が多いのはもちろん,台風が来ようが,雪が降ろうがサンプリングすることができます。両手にひとすくいの落ち葉を取ってきて調べればすむことで,調査のために環境を破壊することもない。
 自然環境のよい所ほどササラダニは種類も数も多いんです。森の中では足の裏の面積に約三十種一千匹ほどのササラダニがいます。ササラダニは毎日落ち葉をバリバリと食べては森の「ゴミ」を分解し,土を豊かにしてくれているわけです。最近,ぼくのこのアイデアを取り入れて環境診断をする取り組みが各自治体の調査や環境アセスメント,学校教育の現場で増えてきたことはうれしい限りです。それにつけてもダニに名前をつけておいてよかった。名前がなかったら指標には使えませんからね。ダニの新種の記載を始めた頃は,こんなことが将来役に立つなんて思ったこともなかったですからね。だから学生によく言うんです。「これは役に立つと思って始めた研究は必ず少し役に立つ。しかし,役に立たないと思って始めた研究は本当に役に立たないか,またはものすごく役に立つかのどっちかだ」とね(笑)。

未だ見ぬダニを探し求めて
 先年,ある公園の設計を頼まれ,張り切って自然の一部をそのまま切り取ったような公園を作ったんですが,残念ながら数年で失敗に終わりました。日本固有の多くの樹種を入れ,落ち葉も自然の要素だとそのまま堆積させるといった公園でしたが,「落ち葉をそのままにすると虫が湧く」「火事になる」「樹木が鬱蒼と繁っていると痴漢が出る」といった一部住民の圧力に困り果てた役場は,結局どこにでもあるような公園に戻してしまいました。悲しいことですが,いまの日本人からすると,落ち葉もビニール袋も空き缶も同じゴミなんですね。
 これからの子どもたちの教育について思うことは,自然の中でとにかく放し飼いにしてほしい。ぼくは「自然観察」という言葉が,昔から大嫌いなんです(笑)。子どもたちは「よじ登る,ちぎる,むしる,つかむ,もぐり込む,拾う,ほじくる」という動詞を身をもって行ったときに初めてイキイキとするものです。命を大切にする教育ということで,「虫を殺しちゃいけない,植物をちぎっちゃいけない,そっと観察しましょう」と教える大人がいますが,そうすると命というものがよりわからなくなってしまいます。捕まえた虫で遊んでいるうちに,その虫がいつしか動かなくなってしまう。「ああ,死んじゃった」というときにちょっとだけ心が痛む。その痛みの積み重ねが大切なんだと思います。
 これからの人生ですが,たぶん死ぬまでダニの研究をするでしょう。最近,面白いことを見つけました。海岸の波打ち際に打ち上げられた流木や海藻の中に,新種のダニがいることがわかったんです。波がかかればびしょびしょで,夏は手もさわれないくらい暑くなり,冬は寒風に一日中吹きつけられるような所に住んでいる。逆に言えば,そんな過酷な環境だからこそ競争相手も少ないといえるわけです。三陸海岸と山陰の海岸は調査が終了しましたが,まだまだ海岸は残っています。海岸でゴミを拾い,ついでにおいしい魚を食べ,できれば温泉に入る。これを日本列島,隅から隅までやろうと思っています(笑)。ダニの住めない所は火山の中だけで,南極北極も含めて地球上はダニだらけ。まだまだ名前を付けてあげなければいけないダニがいっぱいいるんです(笑)。
(構成・写真/寺内英一)
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