第24回 漫画家 杉浦幸雄さん

肉も食べるし,晩酌も欠かさない。いまでも週に一度は徹夜しています
岡本一平先生の弟子となる
 小説家になりたいと言っただけでぶんなぐられた時代,ましてや漫画家になりたいなんて言っても,ほとんどの親はどんな職業かも理解できなかったと思います。
 ところが中学卒業にあたり,親父に「画家ではなく漫画家になりたい」と告白したところ,すぐに賛成してくれたんです。それどころか「どうせ師事するなら日本一の漫画家がいい」と,友人でもあり,当時,朝日新聞の編集局長をしていた緒方竹虎さんに頼んで,紹介状までもらってきてくれたんです。
 父親から持たされた大きな果物かごをエンヤコラと担ぎながら向かった先は岡本一平先生の自宅でした。天下の大先生なんですが,どてら姿で気軽にふらっと出てきてくれました。
 ぼくが持っていった絵をうやうやしく差し出すと,あぐらをかきながらじーっと見てね,「いいだろう。いけるよ。大丈夫だよ」と。短いですが,これが入門を認めるという先生の言葉なんです。
 落語家さんなんかの弟子と違って,先生から何かを手とり足とり教わるということはありません。漫画の書き方なんていうのは全然教えてくれない。だからぼくは今でも漫画の書き方がよくわからない(笑)。
 精神的な意味での師弟関係なんですが,こちらのほうはものすごい影響を受けましたね。ぼくらじゃとても行けないような戦前の名店によく連れていってくれ,びっくりするくらいご馳走してくれるんです。
 そして食いながらさらりと世間話をするんですが,それが人間や世の中というものについての洞察力にあふれた深い話なんです。ちゃんと帳面に付けておけばよかったとつくづく反省しています。それを毎日読み返していたら,今頃はもっと立派な人間になっていたんじゃないかと(笑)。
 入門の頃に聞かされた言葉で座右の銘としている言葉があります。「仲間や同僚をライバルにするな。ライバルはお釈迦様やキリスト様にしろ」と。先生には弟子が六十人くらいいましたから,本当にお金がかかったと思いますね。もっとも年中,先生のところにたかりに行っていたのは,ぼくと近藤日出造くらいのものでしたが(笑)。


日本初の漫画プロ「新漫画派集団」の結成
 漫画の修業をしながらも,友人の誘いもあって演劇にも首を突っ込み,長岡輝子さんや森雅之なんかとも一緒に舞台に立つという,大正デモクラシーをそのまま引きずったような自由な生活を送っていましたが,そんな気楽な生活も長くはつづかない。親父の経営する会社が倒産してしまったんです。自分の食い扶持は自分の力で稼がなきゃいけなくなった。それで一念発起して「アサヒグラフ」に一コマ漫画を書いて投稿してみたんですが,ビギナーズラックというやつでしょうか,これが採用されたんですね。びっくりしたことに七円もの原稿料が貰えたんです。
 七円といっても今の人たちにはピンとこないでしょうが,昭和六年といえば,コーヒー一杯五銭,盛りそば一杯七銭の時代です。漫画一枚描いてこれだけ貰えるとはもうびっくりしました。芝居なんて一文にもならないばかりか毎回持ち出しでしたからね(笑)。ぼくは役者稼業に見切りを付け,本来の目標である漫画家の道に専念することにしました。
 ところが世の中とはままならないもので,せっかく漫画家に専念しようと思ったにもかかわらず仕事がまったくない。こちらから新聞社や出版社に持ち込みに行ってもろくに会ってもくれない。友人の若手漫画家たちに聞いてもみんな同様だと言う。理由はすぐにわかりました。先輩の諸先生方が,若手に仕事を取られてなるものかと,鉄壁のごとく厚い壁を張り巡らしてたんです。だからといってひとりで立ち向かうのはとても無理。
「何とかせねば」と近藤や横山隆一らと話し合った結果,漫画プロダクションを作ろうということになったんです。あそこに行けばさまざまな画風の漫画家がいて,どんな版元からの依頼にもすぐ応えられるといった,そんな体制を作ろうと。さっそく銀座に事務所を構えて机を並べ,電話も引いて,マネージャーも置いたんですが,これが大反響を呼びました。
 昭和七年といえば芸能プロダクションすらない時代でしたから,新聞や雑誌でセンセーショナルに取り上げられたんです。おかげで仕事がたちまち舞い込んでくるようになった。まさにアイデアの勝利でした(笑)。
 来日したベーブ・ルースのインタビューもさせてもらいましたが,そのときにもらったサインボールは,杉浦幸雄寄贈ということで,いまは後楽園の野球体育博物館(野球殿堂)のガラスケースの中にあります。野球殿堂に名前がある漫画家はぼくひとりだって自慢しているんです(笑)。


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