第6回 マジシャン 花島皆子さん

ピアノの生演奏をバックに、歌いながらのマジックショー(撮影・津田賢治氏)
実家に逃げ帰ったこともある
 練習嫌いの私でしたが、それでも入門当初は、毎日八時間ぐらいは練習していました。四つ玉といって、丸い玉を指の間に入れて、増やしたり減らしたりするマジックがあるんですが、その練習の場合など、四つの丸い玉を親指から小指までつぎつぎに移す練習をするんですが、最初の頃は手がしびれて炎症を起こしたこともあります。これはカードマジックのような手先を使うマジックの練習の場合も同様です。
 修行がつらくて家に逃げ帰ったこともありました。そのときは、「自分で選んだ道なんだから最後までやり通せ」と、私がマジシャンになることを反対していた父親に逆に追い返されました。練習がつらかったわけではないんです。自分の自由になる時間がまったくなかったことが理由です。同じ年頃の子はみんな高校生で楽しそうに遊んでいる。こちらは家事をしているか練習しているかのどちらかですからね。遊びたいさかりに遊べない。男の子とデートしたり、どこかに遊びにいったりなんていうことは、独立するまではまったくありませんでした。「私の青春はどこにあるの?」と真剣に悩んだこともありますが(笑)、いまではつづけていて本当によかったと思います。
 ステージにはすぐに出してもらえました。先生のかばん持ちからのスタートですが、入門して数ヶ月もすると、ひとつふたつはマジックを覚えられますからね、先生のアシスタントとして、一緒にステージに立つようになりました。先生にハサミや帽子などマジックに必要な小道具を渡すのがおもな仕事です。それでも初舞台のときは、もうあがりっぱなしで、お客さんの顔なんてまったく見られませんでしたね。わけもわからないまま終わってしまったというのが実感でした。

マジックは美しくなければ
 松旭斎すみえの弟子ですから、本来なら松旭斎皆子と名乗るのがふつうですが、なぜ花島皆子と名乗っているのかというと、松旭斎というのは奇術師の世界では江戸時代からつづく名跡で、落語家さんでいえば三遊亭や柳家といった格式のある名前なんですが、これからは奇術師・手品師というよりもマジシャンという職業名が一般的になるだろう。その場合、松旭斎というより花島のほうが現代的だし、特に女性マジシャンの場合はより相応しいのではないかというわけで、叔父の芸名である花島を名乗ることになったんです。以来、先生の弟子はすべて花島を名乗っています。
 私は、すみえ先生の弟子になれて本当によかったと思っています。芸に関しては妥協を許さない、とてもこわい人でしたけれど、それ以上に人間としてのありようについて教わることが多くありました。同じ女性マジシャンとして得るところも多かった。たとえば、ステージ上で使うスカーフひとつとってもしわひとつないきれいなスカーフを使う。どんなにいそがしいときでもよれよれのスカーフは絶対に使わない。マジックの小道具類もいつもぴかぴかに磨いて使っていました。「マジックはお客さんを驚かすだけではだめ、見て美しくなければいけない」という信念が先生にはあったんです。こういう細やかな発想は男性マジシャンにはあまりないですからね(笑)。

芸人はお客さんに育てられるもの
 私は結局、先生の内弟子を七年間つづけてからひとり立ちしました。十五歳で入門し、二十二歳までいました。これは長いほうですね。ふつうは三、四年で独立する人が多いんです。先生の家にいれば、家賃もいらないし、ご飯も食べられますからね、つい長居をしてしまいました(笑)。もっとも独立するだいぶ前からひとりでステージには立つようにはなっていました。ひとりでステージに立てるようになると、歩合でギャラがもらえるようになるんです。それまではお小遣いがもらえるだけですからね。ただ、ひとりでステージに立つようになったときは緊張しました。アシスタント時代は、こちらがミスをしても先生が上手にフォローしてくれますが、自分ひとりの場合は誰も助けてはくれませんからね。それでもステージでライトを浴びて、お客さんの拍手を一身に受けたときは快感で全身がしびれます。役者は一度やったらやめられないといいますが、その気持ちがよくわかります(笑)。
 これはもう時効だから話しますが、未成年のときからひとりでキャバレーまわりもしました。いまじゃ児童福祉法やらなんやらで、絶対に考えられないですよね。でも、安心してください。女の操は守り通しましたから(笑)。これは先生の教育がよかったんです。「男のやさしい言葉にはだまされるな。男はみんなオオカミだと思え」って、十五歳のときからたたきこまれていましたからね(笑)。キャバレー以外にも、日本中をまわりましたね。マジックをやる上で一番たいへんなのは屋外のステージでやる場合です。夏の暑い日などは手が汗ばんでしまいますし、冬は寒さでかじかんでしまう。風は年中吹いていますしね。微妙な手さばきが重要な商売ですから、本当に神経をつかいます。マジックは絶対に失敗の許されない世界ですからね。地獄だったのは、あるヘルスセンターの屋外ステージで一日に八回マジックをやったときですね。真夏でしたから、お客さんはプールに泳ぎにきた人ばかりで、みんな水着姿。私ひとりだけ場違いなドレス姿(笑)。一日のステージを終えたときには、頭は日射病でくらくら、ドレスは汗でどろどろ。それを十日間連続でやりましたから(笑)。
 それでも、そういう経験がマジシャンとしての血となり肉となるんです。家で百回練習するよりも、ステージに一回出るほうがマジシャンとしての腕は上達するんです。そういう意味では、マジシャンはお客さんによって育てられていくものなのかもしれません。

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