第11回 評論家 金 美齢さん

一度も台湾に帰ったことのない夫ですが,今年は帰るそうです(笑)
英語を道具に生活費を稼ぐ日々
 一九五九年,二十五歳のときに留学生として来日しました。日本の大学を出てからアメリカの大学に入り,最終的には世界を駆けめぐるジャーナリストになろうと思っていたんです。たくさんの人たちの手助けを受けて早稲田大学への留学が叶ったわけですが,私費留学生ですからアルバイトもたくさんしました。ただ私は英語がそれなりにできたから通訳の仕事があった。当時は通訳の仕事はたいへんなお金になったんです。ふつうの女性事務員の月給が八千円の時代に,私は一日二千円貰えましたから。
 しかも,なかなか学生では足を踏み入れられないようなところにも出入りできましたし,人脈もつくることができた。そこからまた仕事のチャンスが増えるんですね。だから日本の一般学生よりもぜいたくな生活をしていましたね。当時,日本にきた有名なオペラの公演はほとんど観ています。以前,政治家の小泉純一郎氏と雑誌で対談したことがあるんですが,あの人も熱心なオペラファンで,私があれも観た,これも観たといったら悔しがっていましたね(笑)。
 でも,これも英語という働く道具を私が持っていたからなんです。だから勉強を始めるにあたって遅いということはないんです。どんなに回り道をしたとしても,勉強したいと思ったときがスタートラインでいいんです。ただアメリカでジャーナリストになるという夢は,同じ台湾からの留学生として東大の大学院で研究生活を送っていた夫と出会って結婚し,子どもができたことによって進路変更せざるを得ませんでした。夫は日本で大学教授の道を進みたかったんです。
 そのかわり子どもたちが小学生のときですが,夫が「子どもの面倒はぼくが見るから好きな勉強をしておいで」といってくれました。おかげで私はケンブリッジ大学に一年間留学することができましたし,その後,半年間ヨーロッパを旅行することができました。本当に夢のような楽しい時間でしたね(笑)。

教師は自信をもって信念を語れ
「生きる力」とは,どんなハードルが前方にあっったとしてもそれを乗り越えようとする力のことだと思います。だから子どもたちの前からハードルを取り除くことが愛情だなんて考えには反対です。子どもたちにはストレスやプレッシャーとうまく付き合いながら,むしろそれを楽しんでほしい。ハードルを乗り越えたときの喜びを教えることが教育だと思います。
 私は「選択を迫られたら困難なほうを選ぶ」というポリシーでこれまで生きてきました。困難から逃げることは自分の成長を止めることですからね。その結果,日本に留学早々,国民党政府のブラックリストに載せられて,父親が危篤のときも帰国することが叶わなかった。でも自分の信念で選んだ道ですから後悔なんてまったくありません。亡き父も私のことを誇りに思っていてくれたと確信しています。
 私は早稲田大学で二十年以上英語を教えてきましたが,厳しい教師として有名でした。授業中の私語は絶対に許さない,テキストは授業の前に何度も読んでおくこと,授業中にあてられて三回答えられなかったらその年は落第と,もうピリピリとした緊張感のある授業をしていました。授業が終わると同時に教室のあちこちからホーッというため息が聞こえてきたくらいですからね(笑)。
「先生も学生も人間としては平等だけれども,立場的には平等じゃない。私にはこの場を仕切る権利と義務があるんだ」と。これは教師としての自信と覚悟がなければいえませんよ。中には反発してとんでもない質問をしてくる学生もいますし,落第させた学生からいやがらせを受けもすれば,その親からは泣きつかれることもある。それでも私は一切妥協せずに自分のやり方を最後まで押し通してきました。
 私には年に五十回ほどの講演依頼がありますが,ほとんどの講演会では聴衆は静かに聞いてくれています。ただ,たまにですが,こそこそと客席から話し声がすることがある。そんなときは演台からはっきりいうことにしています。「これは強制でもなんでもない。面白くなければ出ていって結構です」と。おかげで私の講演会はいつもシーンとしていますね(笑)。
 日本という国は努力すれば報われる社会なんです。日本人は当たり前のように思っていますが,そんな国は世界を見渡してもまだまだ少ないのが現実です。このことを親も教師も自信をもって子どもたちに伝えてもらいたいと思います。日本では自分の運命は自分で切り拓く開くことができる。仮に夢がすぐに叶わないばあいでも,学校が悪いとか,先生や親が無理解だとか,みんな他人のせいにしても始まらない。誰のせいでもない,すべては自分のせいなんです。何度でもチャレンジすることができる社会なんですから。
 台湾には「日本精神」という言葉があります。これは「清潔」「公平」「誠実」「勤勉」「信頼」「責任感」「規律順守」をイメージする言葉なんです。これらはいつでもどこでも通用する美徳です。子どもたちにはこの日本精神を大切にしながら「生きる力」を身につけていってほしいと切に望みます。
(構成・寺内英一/写真・藤田 敏)
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