第11回 評論家 金 美齢さん |
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●不良少女は玉の輿を断わる 小学校を卒業後,台北第一女子中学校に入学したんですが,ものすごい進学校で学生たちもよく勉強するんですよ。小学校の頃は学校の授業さえしっかり聞いていればそれなりの成績が取れますが,中学校ではそうはいかない。きちんと宿題をやって,予習・復習もしっかりやってくる子にはかないません。ところがこつこつ勉強するのが嫌いな性格は一朝一夕では変えられませんからね(笑)。どんどん成績が落ちてくるに従い,より勉強する気がなくなるという悪循環に陥ってしまったんです。もうひどい落ちこぼれで遊び回ってばかりいた。年中,生徒指導の先生に追いかけられていましたね(笑)。 でも,勉強はきらいでも学校自体は楽しかった。学校を辞めたいなんて思ったことはありませんからね。高校卒業にあたり,進学しなかったのは学年で私ひとりでした。「どうせ女の子は結婚して子どもを産んで専業主婦になるのに,何で大学にまでいって勉強しなければならないのか」と思っていた。いまにして思えば受験勉強がしたくないものだから,そうやって自己正当化していたんですね。 卒業後,私に縁談が持ちあがりました。相手はもうこれ以上は望むべくもないという人で,高等文官試験に一番で通った人でした。ところが交際をしてみたところ,生意気でわがままなところが私とそっくりなんです(笑)。似たもの同士が夫婦になったら,我の張り合いで毎日が喧嘩になってしまいますからね。そこで私のほうから断わった。 これには父親が激怒しましたね。「昔だったら科挙試験に一番で通った男は宰相の娘と結婚したんだぞ。おまえ,あんなの振ってどうするんだ。一生おれのすねをかじるつもりか」と。私が親でも同じことをいうと思います(笑)。でも私はツッパリですから,「アホな男だって妻子養ってるんだ。私ひとりくらい自分の力で生きていけるわよ」と啖呵を切ってしまったんです。 ●社会に出て勉強の大切さに気づいた 女ひとり親元から自立して生きていくためには何が必要かを考えましたが,まずは健康状態だと真っ先に健康診断を受けにいきました。私は何事も基本から考える人間なんです(笑)。そのつぎに考えたのは給料の高い職業に就くには何が必要かということです。考えて出た答えは「英語が話せればより条件のいい仕事に就ける」ということでした。 私はさっそく米国人の家庭でベビーシッターを始めたんですが,なにしろ相手は幼い子ども,英語といってもチーチーパッパですからね,いくらいても上達するわけがない(笑)。それでアメリカ基地内の売店で働くことにしました。お客はすべてアメリカ人ですから,ここでは生きた英会話を学ぶことができたんです。 つぎにその経験を武器に「国際学舎」の中にある洒落た陶磁器店に就職することができた。国際学舎とは国際交流センターのようなもので,東洋学を学ぶ世界中の学者や留学生が集まってきていました。洒落たお店の常といいますか,一日に十数人のお客さんしか入らず,私は暇な時間を利用しては英文タイプの勉強をしていましたが,ある日のこと,アメリカ人の館長が「自分の秘書にならないか」と声をかけてきました。後でわかったことですが,館長はそれまでの秘書と折り合いが悪かったんですね。 私としては千載一遇のチャンスですから当然お受けしました。「よし,すぐ試験だ。ぼくのこれから話すことを手紙にどんどん書いてみなさい」と。しかし,情けないことにまったく書けない。元大学教授の話す内容ですから,アメリカ兵相手に商品を売るときの会話とは全然違います。スペルもまったくわからない。当然ながら不合格でした。ところが「英語を本気で勉強したいのなら秘書見習いとして訓練してもいい。そのかわり給料はそんなに上がらないよ」といってくれたんです。無料で元大学教授が英語を教えてくれるというんですから,断わる理由なんかあるわけありません。 でもそれからが大変でした。月に一度,食事をしながらの会議がある。出席者は中国銀行の頭取やアメリカ公使など,政財界の要職に就いている人ばかりで,専門的なむずかしい話ばかり。私はメモをとらなければいけないし,喰いしんぼうだからご飯も食べたい(笑)。大騒動なんですが,館長が「数字とか気がついたところだけメモを取れ,後は全部任せろ」といってくれたんです。会議終了後,私が汚いメモを渡すとまだ記憶の新しいうちにバーッと会議録を全部書きあげてくれ,最後には私の名前まで入れてくれる。 つぎにきた人たちは「すばらしい会議録だ。あなたほど優秀な秘書はいない」と私をほめちぎる。もう恥ずかしいやら情けないやら。そのときですよ,やっぱり人間勉強しなければいけないなって思ったのは(笑)。それからは自分の虚像に少しでも追いつこうと,もうがむしゃらに努力しましたね。
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