第10回 女優 原ひさ子さん

いまの若い役者さんはみんな堂々としていて驚かされますね
八月六日は「すいとんの日」
 戦争が始まり,女優さんの出られる芝居がだんだんと減ってきて,映画も芝居も戦意を高揚させるものばかりになってきました。兵隊になってお国のために尽くそうというストーリーが多かったですね。山中監督も応召されて満州で戦病死されました。まだ二十九歳の若さです。生きていたら日本を代表する大監督になっていたと思います。
 二十年の五月には空襲で家も焼けてしまいました。ふたつ掘っていた防空壕のうち,片方には土をかけないでいたものですから,そちらはものの見事にお米から何から真っ黒になってしまいました。志村喬さんなんかも焼け出されていましたね。この年,八月六日,私の誕生日に広島に原爆が落とされました。以来,我が家では八月六日は戦争を忘れない日として家族全員ですいとんを食べることにしました。この「すいとんの日」は五十年以上つづけてきております。
 疎開先から母や子どもたちを連れ戻し,親子一緒に住めるようになったのは戦後二年くらいたってからのことです。立川の親類の空き家を借り,小さな喫茶店を始めました。メニューといってもコーヒーとカレーぐらいですけれど,役者としての仕事らしい仕事はありませんでしたから。
 そのうちに「東宝劇団山田五十鈴一座・滝の白糸」の旅公演に誘っていただいてふたたび芝居の世界に戻ることができましたが,親子五人の生活を維持するのは大変でした。前進座から夫婦そろって移った東宝では,その後,大争議に巻き込まれもしましたが,世の中が少しずつ平和を取り戻し,活気が出てくるにつれて,ラジオに,テレビに,映画にと仕事の場が増えていき,なんとか生活を安定させることができるようになりました。戦後出させていただいた今井正監督の「青い山脈」も昨年,五十年祭が行なわれ,主人公をやった米国在住の杉洋子さんとも久しぶりにお会いすることができました。この五十年間を振り返ってとても感慨深かったですね。

台詞を覚えるのが大変
 近年,小堺一機さんの「いただきます」という番組に出たことがきっかけで,バラエティー関係の仕事への出演依頼がとみに増えました。トーク番組には台本がありません。それでなくとも明治生まれですから,女は男の人から三歩下がって歩けとか,女は口出ししちゃいけないとか,そういわれて育ってきたものですから,話し下手といいますか,どう受け答えをしていいかわからないんです。それで最初は断わったんですけれど,テレビ局の人に「原さんはいてくれるだけでいいんです」と説得されてしまって(笑)。
 でも,出させていただいたおかげでとっても勉強になりました。ジャンルのちがうお友だちもたくさん増えましたから。特に淡谷のり子さんには仲良くしていただきました。私が淡谷さんのお母さんによく似てるとおっしゃって,いつも楽屋からスタジオまで私の手を引いて歩いてくださいました。私のほうが本当は少し若いんですけどね(笑)。
 おかげさまで現在でもテレビや映画に出させていただいておりますが,目下,一番大変なのは台詞を覚えることですね。「原さんが画面に映っているだけで見てるお客さんは幸せなんだから」とまわりの人はおっしゃってくれますが,女優としてそういうわけにはいきませんからね。一生懸命に覚えるんですが,ふっと出てこないときがあるんですよ。やっぱり歳のせいですかね。マネージャーさんには「台詞の少ない仕事にしてね」とわがままをいっております(笑)。

自然体で生きてきました
 学校の先生方に望むことは,子どもと仲良く遊んでほしいということですね。子どもの話を「そうかそうか」と聞いてほしいと思います。先生は親の次に大切にしたい人ですから。
 俳優を目指している子どもたちにアドバイスをするとすれば,小学校,中学校,高校と,そのときそのとき思いきり遊んで,勉強して,先生たちと仲良くして,それに素直な心があれば十分だと思います。素直な心さえあればまわりの人の意見もどんどん吸収できます。あせらず,背伸びせず,こつこつ夢に向かって努力してください。
「原さんの健康法は何ですか?」と聞かれることがありますが,私にはよくわかりません。日記代わりに俳句をつくることと,近所の公園を愛犬と散歩するくらいなんです。悲しいこと,つらかったこと,いろんなことがありましたけれど,ものに逆らわず,世の中こういうものだって自然体でやってきたのが良かったのかもしれませんね。もともとのんきな性格なんです(笑)。
「生まれ変わってもまた女優になりたいか」ですって? あんまりやりたくはないですね(笑)。どんな仕事でもいいんです。一生懸命夢中になれるものを見つけられれば。それが一番だと思います。
(構成・寺内英一/写真・藤田 敏)
<<戻る
3/3


一覧のページにもどる
Copyright(c) 2000-2024, Jitsugyo no Nihon Sha, Ltd. All rights reserved.