|
|
●祖父の手伝いで農業にふれる 父はサラリーマン、母はパート職員の家に育ったので、中学生の頃までは農業をやろうとは思っておらず、何かしら仕事にさえつければいいと思っていました。ただ、祖父がりんごと米の農家をやっていて、米の収穫を手伝ったり、家での家庭菜園を手伝ったりすることがあり、楽しかったのを覚えています。 高校は普通科に進みました。その頃に祖父が病気で入院したことと、2年で文系・理系を選択するために進路を考え始めたこともあり、自分が祖父の農家を継いでみようかなという気もちが芽生えました。 やがて祖父が亡くなり、真剣に農業をやろうと考えるようになりました。祖父は引退時にりんごの木などの作物をすべて処分していましたが、私としては祖父の使っていた土地がもったいないという思いが強くありました。そういうわけで、2年の系統選択時には農業に必要な知識が学べる理系を選びました。 ●進路を見すえての進学先選び 家族に農業をやりたいと話したときは、父に「そんなに甘い世界じゃないぞ」と心配されました。それでも、進路に関しては自分を通したかったので、父を説得しました。やはり自分の人生なので、親が何か言うからということではないと思います。親が心配だという気もちはわかるのですが、やってみないとわからないこともあると思うんです。 大学を選ぶ際は、父には信州大学しかないぞ、と言われていました。地元の国立大学の農学部となると、そこしかなかったのです。学力的に自分には無理だなあと思っていたら、高校の先生に農学部を出ている人がいて、その先生から長野県農業大学校(以下農大)というところを教えていただきました。そこなら自分の学力で入れそうだと思いました。両方のオープンキャンパスに行ったところ、信州大学の方は研究室という要素が強いように感じました。一方農大は農業の仕事を学ぶことがメインだったので、自分にはここが合っていると感じました。 |
|
●農大で花の生産を学ぶ 当時の農大は総合農学科と実科・研究科というふたつの学科があり、私は総合農学科の花き(かき、観賞用の美しい花をつける植物のこと)コースで2年間学びました。 最初農大に入ったときには、地元の松本市で作物がよく生産されていることもあり、作物や野菜のコースに入ろうと思っていました。しかし、入学後のコース選択のときに話を聞いてみると、花きコースに進む人はほとんどいないということでした。そこで先生に話を聞いてみると、「花きコースは人数が少ないから、卒業研究でハウスをまるまる1棟使えるよ」と教えていただき、それはいいなあと思い、花きコースを選びました。 農大では単純に花のことだけを研究するのではなくて、周辺設備やコストなど、実際に農業経営をすることを念頭に置いた研究もしました。研究内容はもちろん人それぞれ違うのですが、私はマルチ、いわゆる畑のうねにかかっている黒いビニールシートのことですが、その違いによってどのような生育差・品質差が出るのかという研究をしました。ひとことでマルチと言っても白いものやアルミのものなどさまざまあるんですよ。 ●就農=農家への就職を考える 大学で勉強しながら就農を考えるにあたって、花ではなく果樹や畜産の農家をやろうとも考えました。しかし、すでに祖父がりんごの木を処分しているため、果樹はゼロから始めなくてはなりません。ゼロからでは木が育って実がなるまで3年かかってその間収入なし、ということになるし、畜産も投資がかなりかかる。また災害や病気など不慮の事態のときには被害がかなり大きくなります。 そういうリスクを考えると、花は比較的小さい面積でも始められるし、生産量や品質が大きく変動しにくいので育てた花に一定の単価が期待できました。 また、何を育てるか以前に、自営業なので、すぐ就農するのは資金的に厳しいという問題もありました。そのため、企業に就職してしばらくの間は資金を貯めるという選択肢も考えました。 農大出身での就職は、公務員や、ホームセンターの正社員、農業機械メーカー、農協などが多いのですが、私も10社ほど受け、幸いにも農業機械のメーカーに内定をいただきました。 とはいえ本命は就農だったので、2年の卒業間近のときに、今度は研修を受け入れてくれる農家さんを探そうと考えていたところ、農大の先生のお知り合いから、上條信太郎さんという方を紹介していただきました。上條さんは世界の花の展覧会で1位を取るほどの技術をもった方です。「そこの研修生に空きができたんだけどどう?」というお話をいただいて、すぐさま「行きます!」と決めました。上條さんのところへあいさつに行き、正式に受け入れが決まったのが1月でした。内定をいただいたメーカーさんにはお断りすることとなり申し訳なかったのですが、企業として農家さんと関わるより、きちんと現場に出た経験値の方が就農したときに役立つと思ったんです。
|
1/3 |