第7回 木村晋介さん |
●男だらけの共同生活に突入! 大学時代の終わりには、小岩にあった克美荘という小さなアパートで、椎名(作家・椎名誠)や沢野(イラストレーター・沢野ひとし)らと男ばかりでの共同生活をしました。このきっかけは中学生時代まで遡ります。私の通う中野第三中学校で同級生だったのが沢野で、彼とは家も近くすぐに仲良くなりました。後に彼は千葉へと転校してしまうのですが、高校3年の時に沢野から「会わせたいヤツがいる」と紹介されたのが椎名です。それからは物書きを志望していた椎名が作るガリ版刷りの小冊子に、原稿を同人として寄稿したり、彼の8ミリ映画作成に付き合ったりと、年中遊んでいました。 大学3年生のある日、司法試験に向け自宅で勉強をしていたところ、椎名が乗り込んできます。そして、「お前も親元でぬくぬくと勉強しているようではダメだし、自分も本格的に物書きを目指すから事務所が必要だ。ついては宿泊施設のある事務所を借りたからお前も来い」と一方的に宣言します。今思えば、というより当時ですら司法試験を受ける身には無謀なことがわかりますが、なぜかその誘いに乗っていました。まあ私はさて置き、よく親が承諾したなと思いますが、やはり私には大した期待がなかったのでしょうか(笑)。引き止めるどころか、父が中国で使っていた大きな鞄に司法試験の膨大な資料を詰め込んだ私を、何の抵抗もなく送り出してくれました。ちなみにその鞄は、克美荘ではテーブル代わりとして大いに役立ちましたね(笑)。 こうして6畳ひと間のアパートに、私に椎名、沢野ともうひとりの、4人の共同生活が始まります。普通に考えれば到底勉強できる環境ではありませんが、毎晩酒盛りとなる夜の部はさておき、日中は他の3人がアルバイトに学校にと部屋を空けることが多かったので、想像よりも遥かに勉強ははかどりました。また、男ばかりの暮らしでも、それぞれの役割が自然と決まって来るものです。ずっと部屋にいる私は必然的にお母ちゃん役。当時、料理の腕前はたいしたことがありませんでしたが、鍋でご飯を炊く技術だけはずいぶん上達したものです。結果、ここでも短期集中型が功を奏したのか、目指す司法試験には一発で合格することができました。 この克美荘で過ごした明るくもおかしい約2年間は、まさに青春そのものでした。私はその頃、北杜夫らが綴る、旧制高校の寮での破天荒なエピソードなどに大いに憧れを抱いていましたから、同じような日々を過ごせていることが無性に嬉しかったですね。お互いが無責任ながらも、誰ひとり病気になることなく生活できたあの日々は、とても貴重な体験でした。後に椎名や沢野も有名になったことから、よく漫画家におけるトキワ荘と比較されるのですが、皆が漫画家という同じ目標に向かうトキワ荘に対し、克美荘の我々は、互いが何を目指しているのかもよく知らない、という曖昧な感じだったのが面白いなあと感じます。 ちなみにこの頃、椎名を中心に皆で記入していた「克美荘日記」があり、私が保管していました。しかし私が司法試験に合格して、克美荘暮らしを離れることになったのを機に、椎名が物書きを目指すならば、この日記がいつか役に立つだろうと彼に預けたのです。それが、後に椎名が克美荘時代を書いた『哀愁の町に霧が降るのだ』につながっていったわけですね。 |
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●弁護士という仕事とは 弁護士という仕事は、中学生の皆さんなどにはまだあまり馴染みがないかもしれませんね。そもそも世界には大勢の人が居て、それぞれ考え方も生き方も違います。そこにはどうしても摩擦が起き、ひどい時には犯罪という形で加害者と被害者が生まれてしまいます。また、自動車運転中に人を跳ねてしまうなど、故意でなくても当事者になることもあります。そういうもめ事が起こったときに放っておいたらどうなるでしょうか。争いが争いを呼び、私たちが平和に、安全に暮らしていくことはできなくなります。ですから、平和を守るために、何らかの方法で紛争をできるだけ公平に解決することが必要になります。ではどうやって解決するのでしょう。殴り合いで決着、ということでは体力に勝る者が勝ちますし、ジャンケンで決めるわけにもいきません。そういう不公平な解決では、争いをなくすことはできません。 そこで、揉めている当事者とは別に、揉め事をまとめる人というのが必要になります。そういった役割は、はるか昔は占い師だったり、また今テレビで放映している時代劇の頃は、お奉行様がその役目でした。しかし全てを国から選ばれたお奉行様がひとりで仕切るので、どうしても上から目線になります。また加害者の言い分も、被害者の言い分も公平に聞くということにはなりにくい。結果として不公平な解決を押しつけることになります。 こういう失敗の繰り返しの上に、近代化された司法、裁判所というものができ、犯罪については刑事裁判所、その他の揉め事については民事裁判所が必要となりました。そこでは原告(刑事事件では検察官)、被告共に裁判の当事者になってもらい、裁判官はその審判役、ジャッジとして、一歩引いた立場で判断する、となったわけです。 揉め事も、時代がたつごとに複雑になってくると、お互いに素人では手に負えなくなってきます。こうして揉め事の一方の当事者の代理人として、意見や証拠を提出する専門家として弁護士が登場してくるわけです。 もう一度整理すると、社会には揉め事は避けられないというあきらめがまずあって、その揉め事の公平な解決の目安として法律が出来たのです。そしてそこに弁護士という法を扱う専門家ができたわけです。ですから決して法を守ることが目的なのではありません。まず初めに法ありきで、これを守るために弁護士がいるわけではなく、人と人との泥臭い揉め事や争いを公平に解決して平和を守るための道具が法律であり、弁護士なんです。 ですから、揉め事がなければ法も弁護士もいらないのですが、なかなかそうはいかないんですよね。 裁判官や検察官との違いとして、ここでは弁護士、検察官、裁判官を料理で例えてみましょう。まず弁護士は、いろいろな所で素材の買い物をしてきて、料理を作りあげる人です。その弁護士が作った料理を食べて、美味しい、美味しくないと判断するのが裁判官という仕事。だからこそ裁判官には世の中を見る目や、事実を味わう舌が肥えていることが求められます。では検察官はといえば、素材から集めにいくわけではなく、警察官が集めてきた、いわば半調理品やレトルト食品を扱う、といった感じでしょうか(笑)。でも、検察官の仕事は、国という一方の立場を代理して、犯罪容疑者や被告人の処罰のための仕事をするわけですから、容疑者や被告人を代理して弁護をする弁護士に近いところがありますね。
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