第60回
声優
永井一郎さん
2004年9月号掲載


PROFILE
声優。一九三一年生まれ。大阪府池田市出身。京都大学文学部仏文学科卒業。電通に勤務した後に,俳優に転向。外国映画の吹き替え(アテレコ)の出演を機に,本格的に声優活動を始める。三〇年以上も演じ続けている『サザエさん』の磯野波平役をはじめ,『鉄腕アトム』などテレビアニメの初期から活躍。『じゃりン子チエ』の小鉄役,『宇宙戦艦ヤマト』の佐渡酒造役,『未来少年コナン』のダイス船長役,『風の谷のナウシカ』のミト役など,個性的なキャラクターを数多く演じている。

「社会性のない人が本当に多いですね。私は今の社会に一番必要なのは倫理だと思っています。倫理なんて古くさい,ということでは教育は駄目だという気がします」
声優は不自由業!?
 『サザエさん』の放映は今年で三十五年目になります。こんなに長く続くとは思いませんでした。最初に「この番組は三十五年続きます」と言われていたら,引き受けなかっただろうと思います。録音のある毎週木曜日は,三十五年間ずっと東京に居なければならなかったんですもんね。
 こんなに不自由な職業はありません。むしろサラリーマンの方が,有給休暇があるからよほど自由です。私たちには有給休暇はありません。休暇があるとすれば,それは仕事にあぶれた日です(笑)。
 こんな風に言うと,進路としては好ましくないとお思いになる方もいるかもしれません。でも,私のようにこの仕事がおもしろくて夢中になれる人には堪えられないでしょうね。


将来はわからなくて当たり前
 私が生まれたのは大阪府池田市です。幼少時代は通信簿に「栄養に注意を要す」と書かれたほど好き嫌いが激しくて,体が小さかった。そんな私を両親はあまりガミガミ叱らずに,自由に育ててくれたと思います。厳しいでもなく,優しいでもなく,ほったらかしでもありません。あまり動じないで,私のことをじっと見ていてくれました。
 小学校時代は勉強が好きとか嫌いとかいうよりも,勉強のことなど考えていませんでした。ただ,担任だった女性の先生が黒板にいつもきれいな字を書いていたのを覚えています。子どもはこういうことにとても影響されるのではないでしょうか。何事もきちんとやるということを教えてもらった気がします。
 戦争中だったので,小学校時代の同級生はみんな「将来は大臣になりたい」とか「兵隊になりたい」などと言っていました。私は兵隊になるのは嫌でした。戦死せずにすむ職業はないかと友だちと話をしていたら,「技術将校というのがあるよ」ということで,「そうか,それにしよう」と(笑)。技術将校というのは兵器を開発する,軍の科学者です。ただ,口ではそう言っていても,実際になりたいとは思っていませんでした。小学生の時は何になりたいかなんて考えたことがなかったです。
 私たちの小学校時代というのは,学校帰りにいろいろと寄り道をしていました。鋳かけ屋さんやブリキ屋さん,畳屋さんが働く姿を毎日見て,いわば社会勉強をしながら帰るわけです。今の子どもたちよりも世の中のことをたくさん知っていただろうと思います。それでも将来は何になりたいかがわからなかった。ましてや今の子どもたちは,もっとわからないのではないでしょうか。
 職業もそうですが,好きなものを見つけるためには物事を知らなければいけないのです。知らないところからイメージというのは絶対に湧きません。具体的に知れば知るほどイメージはくっきりと出てくるものです。特に芸術家や役者にとっては,それが一番大事ですね。


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