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●本当は研究者になりたかった!? 私は三歳から水泳を習い始めました。それは,私がまだ二歳になる前に父に連れられて海に行ったことがきっかけです。その時にいくら引き留められても,私は洋服を着たままで海に向かっていったそうです。そんな水を怖がらない私に,元々スポーツをやらせたいと思っていた母が「泳げるようになりたいの」と聞いたところ,私は「うん」と頷いたらしいのです。 小学六年生の時は,将来は新薬を開発する研究者になりたいと思っていました。当時はちょうどエイズが世界中に蔓延し始めた頃でした。二〇〇〇年までにワクチンを見つけなければ地球上で何万人もの人間が死ぬというニュースを聞いて,「私がワクチンを見つけてやろう」と思ったのです。その時はたまたま理科が好きだったので漠然とそう思っていたのですが,中学校に入るとすっかり変わってしまいましたね(笑)。 ●ライフセービングとの出会い ライフセービングに興味を持ったのは,高校二年の時のクラスメートの影響です。その友人は夏休みにプールで監視員のアルバイトをやっていました。人工呼吸法やケガの対処法などを知っていたので,体育の授業ではねんざした人を手際よく手当していました。その姿に,私はとても憧れたのです。 また,高校三年生の時に大学生のインターカレッジを観たことも大きなきっかけです。私はそれまでコースロープで仕切ってあるような,波も風もうねりもない平水面のプールでしか泳いだことがありませんでした。ですから,初めて目にしたライフセービング競技はとても衝撃的でした。 まず,海にあるブイに向かって選手が一斉にスタートする様子に圧倒されました。しかも,みんな別々のコース取りで,泳ぐ距離もプールに比べるとはるかに長いのです。さらに泳いだ後に浜を走ったり,サーフスキーなどの器材を漕いだりします。私はとても興味を持ちました。もちろん,自分にあんな過酷なことが出来るのかと少々不安にもなりました。でも,大学受験の直前にライフセービング競技を目にしたことが,私にとって受験を乗り切る大きな原動力にもなったのです。 また,中学や高校で競泳の練習をしてきて,ちょうど壁に突き当たっていた時期でした。そこで,このまま悩みながら競泳選手を続けるよりも,自分の泳力を人のために活かしたいと思って,ライフセービングの道を選んだのです。 大学ではライフセービングクラブに所属していました。ただ,私の入った大学のサークルはちょっと特殊でした。当時,元JOC会長の古橋廣之進先生が日大で体育の水泳の授業をなさっていて,その授業のアシスタントとして,学生が指導員をやるサークルでもあったのです。ですから,サークルでは泳ぎの教え方を勉強することから始まったので,いささかとまどいもありました。 それでも大学に入ると同時に,私はすぐに競技大会に出させてもらえるようになりました。早くから自分で工夫して練習をしていたからです。少しでも大学のプールを使える時間を見つけては,早朝や昼休みなどに一人で練習してきました。 とにかく,私の頭の中はいつも「どうやって練習の時間を捻出するか」ということだけでした。特に,年末年始はどこのスポーツセンターも休みになってしまいます。そういう時は練習を確保するのが大変でした。いろいろな人のツテを頼り,無理を言って泳がせてもらったこともありました。
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