第55回
登山家
田部井淳子さん
2004年4月号掲載


PROFILE
登山家。一九三九年,福島県三春町生まれ。昭和女子大学英米文学科を卒業後,日本物理学会ジャーナル編集部に勤務。この頃から本格的な登山を始める。一九六三年,龍鳳登高会に入会。一九六九年,女子登攀クラブ創設。一九七〇年,初の海外遠征でネパールのアンナプルナIII峰に登頂。一九七五年,エベレスト日本女子登山隊の副隊長として遠征,世界最高峰の女性初登頂者となる。以後,一九九二年までに世界七大陸の最高峰に登る。一九七五年にネパールのグルカ・ダクシン・バフ勲章を,一九九五年に内閣総理大臣賞を受賞するなどこれまでに数々の賞を受賞。

<二〇〇二年,カナダのアシニボイン山(三六一八メートル)にて>
忘れられない恩師との登山
 私が生まれ育ったのは,福島県の三春町というところです。梅と桃と桜が一度に咲くので,「三つの春」というのが名前の由来です。
 私は,二人の兄と四人の姉の,七人兄姉の末っ子です。両親は家で印刷業を営んでいました。印刷工場の職人の方の中には,私たち家族と一緒に寝起きしている人たちもいたので,家の中にはいつも十五,六人ぐらいいるような大家族でした。
 私は体がすごく小さくて,おまけに兄姉そろってみんな体が弱かったので,いつもお医者さんが家に来ては「今日はどの子ですか」と言われてしまうほどでした(笑)。また,運動も苦手で,かけっこで「用意,ドン」と言われる瞬間が本当に恐怖でした。
 小学四年生の時に,渡辺俊太郎先生という若い担任の先生に,栃木県の茶臼岳と朝日岳に連れていってもらったのが私の初めての登山でした。当時はなかなか旅行やハイキングができない時代でしたが,「先生は夏休みに山に行くけれど,一緒に行きたい人はいるか」とクラスのみんなに呼びかけてくれたのです。
 当時は宿に泊まるにしても,お米や野菜,味噌などを持って行かなければなりませんでした。でも,そうした大変さよりも,男の子たちと一緒に拾った棒にみんなのザックを通して担いで登るなど,楽しかった印象の方が強いですね。先生が「急がなくていいんだ」とおっしゃったので,山登りは「用意,ドン」ではなくて,どんなにゆっくりでもいいというのが心地よかったし,疲れても選手交代というのがない代わりに,たとえゆっくりでも,頂上では何とも言えない達成感や満足感を味わえるということも知りました。
 その時に泊まった宿では川をせき止めた露天風呂があったのですが,お湯が流れている川というのを見たのは初めてだったし,茶臼岳というのは,山は山でも火山の山なので,草や木がないということにもびっくりしました。また,夏でも山の上では寒いということも初めて知りました。学校の教科書や黒板で習ったこととは違って,自分の足で歩いて,肌で感じて,目で見たものがとにかく新鮮だったので,家に帰ってからも,とても興奮して家族に話して聞かせたことを覚えています。


東京の大学へ
 当時は中学卒業と同時に,だいたい卒業生の半分ぐらいが集団就職し,あとの半分が高校へ進学していたのではないでしょうか。また,特に女子は高校から大学へ行く人が本当にわずかでした。先生も女子は大学へ行かないものと思っていらしたのか,女子の指導というのがほとんど顧みられない時代だったし,周りもそれを当たり前のようにとらえていました。
 ただ,私の場合は,父が子どもたちの教育に熱心で,自分がやりたくてもできなかったことを子どもたちにさせてやりたいという考えを持っていたようです。当時としては珍しかったのですが,兄や姉たちも高校を卒業すると,東京や他の地方の学校へ進学しました。
 私も東京の大学に入ると,上京して一人暮らしを始めました。しかし,当初は周囲に気を遣ってばかりの毎日で,一時は体調を崩して三春町に近い岳温泉で療養したこともありました。
 その後,元気になってから,奥多摩などの東京周辺の山に登る機会があったのですが,上から下まで全部木が生えているのには驚きました。というのは,今まで登った茶臼岳や福島県の磐梯山,安達太良山などは,下の方が森林でも,上に登るにつれて森林限界になって,木がなくなり,ハイマツや高山植物が出てくるのが山のパターンだったからです。また,ポツポツとした山並みが,東北の雄大な山並みとは違うのも新鮮でした。
 そこで『東京周辺の山々』という本を買って読んでみたら,東京を起点にして今まで私が知らなかった山がたくさんあったのです。それから興味を持つようになって,毎週のように,あちこちの山に出かけるようになりました。行くことも楽しかったし,計画を立てることも楽しかったし,帰ってからもう一度本を開いて確かめるのも楽しかったので,一回の山登りで三回ぐらい楽しむことができました。
 そのうちに,人と話す苦手さとか,「田舎者と思われているのではないか」という思いとか,それまでの劣等感がだんだんと消えていったのです。


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