第53回 吉本興業取締役相談役 横澤 彪さん

「吉本の求める人材は,元気があって現状に不満を持っている人。もっと言えば,現状を改革する思考がある人。それと,利口ではなくてアホな人がいいですね」
テレビ的とは何か?
 当時,こうした番組が「軽チャー番組」と呼ばれてテレビの世界をリードしてきましたが,こうした「軽チャー番組」に対する批判もずいぶんありました。そもそもテレビというのは,誕生した当初から目標にしていたメディアが映画でした。ああいう完成度の高い,芸術的なものをなんとかしてテレビのドラマでも作りたいという人がテレビの世界に入ってきたわけです。
 もう一つは,新聞というメディアに追いつきたいということがありました。最初は,報道というのはハンディーフィルムカメラで三分しか記録できなかったのが,そのうちどこにでも持ち運びができて,二十分も撮れるビデオカメラができたのです。さらには衛星中継ということで,中継車でどこでも生で中継できるようになりました。そうやって技術がどんどん進歩してきました。
 すると「テレビ的とは何なのか」ということになりますが,それを初めて主張したのが八十年代なのです。六十年代にテレビが生まれて,すでに二十年経っていて「何がテレビ的なのだろう」ということを考えた時に,僕は予想外の起こらぬことが起こる生放送というのが一番おもしろいんじゃないかと仮説を立ててやってきました。
 たとえば黒柳徹子さんが『笑っていいとも!』のゲストで登場した時には,番組中にずっとしゃべりっぱなしだったことがありました。でも,それは無理してそうしたわけではなくて,成り行きでそうなったのです。その代わり,予定していた他のコーナーはみんな飛ばされてしまいました(笑)。そういう予想外のおかしさというものがあります。
 さらに,その時は黒柳さんのハンドバックの中身を番組中に全部見せてもらったのですが,黒柳さんのハンドバックに何が入っているのか見てみたいという情報の方が優先するのではないか,そういうやり方がテレビ的ではないか,と僕は思ったのです。


大事なのはアホになること
 フジテレビを退社して,吉本興業に移った理由は,やはりコンテンツ側に移ってみたらどういうふうに見えるかなと思ったのです。もちろん,永年勤めた職場を離れるというのは決して簡単なものではありませんでした。僕は収入が減っても価値は高いと判断しましたが,家族は反対しました。でも,そういうのを自分の中で乗り越えないと進路を決めるというのはできません。「高収入でかっこいい仕事ばかりを求めても生きていけないよ」ということを,僕は身をもって若者に言いたいです。そんなものはありません(笑)。
 当初は現場で人を育てるということがやりたくて吉本にきたのですが,吉本の戦略のひとつに「東京のマーケットを拡大していく」ということがあって,今はそちらの仕事をやっています。吉本興業というと,お笑いのイメージが強いですが,スポーツや音楽,ドラマ,次代のタレント育成など,総合的なエンターテインメントのプロダクションをめざしてやっています。おかげさまで,東京のマーケットを拡大するという当初の目標は充分に達成されていると思います。
 今,僕は大学で週に一回,「メディア」とか「笑い」に関する講義をしています。これが僕のライフワークというか,ゆくゆくはこの分野で社会貢献したいと思っています。
 進路で何が一番大事かというと,やはり自分のやりたいことにこだわり続けるのが大事なんじゃないですか。利口ぶってやるよりも,アホになってやる方がもっと世の中が広く見えるよ,というのが僕の今の基本的な考え方です。


(写真・構成/桑田博之)
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