第52回 メキシコオリンピック銀メダリスト 君原健二さん

「ボストンマラソン大会の優勝者は五十年後に招待されることになっています。あと十三年後の第百二十回大会に招待されるのが楽しみです」
ついに銀メダル獲得!
 メキシコオリンピックは海抜二二八〇メートルという高いところで開催されました。そんな高いところになりますと,空気中の酸素が四分の一も足りず,七十五パーセントしか吸えません。そういう状況を考えますと,慎重に走らざるを得ません。慎重に走っていますと,どんどん選手が私を追い抜いていきました。
 私は中盤からどんどん追い上げていったんですが,最初にたくさんの選手に追い抜かれていますから,自分の走っている順位がちっともわかりません。走っていますと,沿道を埋めました観衆の歓声に混じって,「トリス!」というスペイン語が聞こえました。私は語学ができないのが本当に恥ずかしいのですが,スペイン語の数だけは覚えていました。ウノ(一),ドス(二),トレス(三),クワトロ(四),シンコ(五),セイス(六)……,と。だから,走っている時に「トレス(三)」という言葉が聞こえたので,これは三番ということを知らせてくれたんじゃないかと一瞬思いましたけれども,私にはとても信じることができません。しばらく走っていると,前を走っていたケニアの選手がへばっていたので簡単に追い抜くことができました。すると今度は沿道の歓声に混じって「ドス(二)!」という言葉が聞こえたんです。「三」という言葉が聞こえて,一人抜いたら「二」という言葉が聞こえたら,どう考えたって今,絶対に二番を走っているに違いないと私は確信しました。すると,頭に浮かんできたのは,あのオリンピックの表彰台のことです。私は今,二番を走っているに違いない。たとえ後方から一人の選手にだけは抜かれてもいい。今,表彰台に立つことのできる,せっかくのチャンスをつかんでいる。オリンピックの表彰台に立ちたい。そんな欲が生まれました。
 それからまもなく,思いがけない新たな戦いが始まりました。お腹の調子の悪くなったことでございます。尾籠な話で恐縮ですが,トイレに行きたくなりました。まだゴールまで十数キロという距離が残っている地点です。当然考えました。トイレがすぐに見つかるだろうか。どのぐらいロス時間を計算しておけばいいんだろうか。我慢しながら走ったらどれだけ時間が遅れていくだろうか。今,自分はトイレへ走ったほうがいいんだろうか。それとも我慢しながら走ったほうがいいんだろうか。どちらを選択したほうがより有利にこのレースを展開することができるだろうか。その計算を一所懸命に始めたんです。
 ところが,疲労もたまってきております。酸素が希薄という状況も加わっております。一所懸命に計算しようとするんですけれども,その計算が一向に前に進まない。そうこうするうちにとうとうゴールの競技場までたどり着きました。その時,私は四年前の東京オリンピックの教訓を思い出しました。円谷さんは競技場にたどり着いた時,約八十メートル後ろにヒートリー選手が迫っていたのを知らなかったのです。私も,走る時に後ろを振り向くような走り方は,当然スピードが鈍りますから極力しません。後ろを振り向かなくても,後ろの選手の足音が聞こえるかどうか,観衆が私に拍手を送って,その後,どれくらいの間隔で拍手が起きるかということによって後ろの選手がどのくらい離れているか,あるいは縮まっているか,そういう計算はできるんです。
 けれども,私は,後ろの選手がとても気になってしかたがなかった。私は損することがわかっていても,後ろの選手がどんなだろうかとチェックしたんです。すると,まるで東京オリンピックを再現したかのように,私の後ろには,どこの国の選手かはわかりませんでしたが,ちょうど八十メートルぐらい後ろに選手が迫っていました。私はそれまでは一人抜かれてもいいとは思っていましたが,ここまで来た以上,あとは競技場を駆け抜けるだけですから,絶対に後ろの選手に追い抜かれまいと,無我夢中で競技場を駆け抜けました。
 そして頂いたのが,銀メダルでございます。とてもうれしいメダルですが,しかし,自慢できません。お腹の調子を悪くしたのは誰のせいでもありません。私自身の食事の取り方がまずかったのか,あるいはレース中に「表彰台に立ちたい」という緊張感から起こったのか。明らかに私の犯したミスです。ミスを犯しながら銀メダルを頂くというのはそのレースにおいて,私以上に大きなミスをした人がたくさんいたのか,いい選手がたまたま参加していなかったのか。本当に私は幸運によっていただいた銀メダルだと思っています。


スポーツとは? 人生の宝とは?
 次のミュンヘンオリンピックは三十一歳の時でしたが,五位に入賞することができました。比較的長かった私の競技者生活では,失敗レースもたくさんありましたが,三回のオリンピックに出場することができました。これだけでも,私は競技者としては大きな成果をあげることができたと思っております。
 振り返ってみますと,たくさんのすばらしい副産物を自分の物にすることができたことに気づきます。いろんな大会に参加できました。国内はおろか,海外にも三十回以上遠征させていただきました。私はスポーツをとおして知らない街,知らない国など,いろんなところを訪ねることができたのでございますが,そうして訪ねた先々でたくさんの思い出を残すことができました。それは人生の宝のように思えてなりません。私がつづってきた,これまでの六十二年の人生のアルバムの中に,そういった思い出をたくさん飾ってくることができました。
 スポーツは,政治を越え,宗教を越え,人種を越え,地域を越え,国境を越え,そして貧富の差を越え,みんな平等です。私がいろんな多くの分野の方々にお会いできたのも,本当にスポーツをやったからだと思っています。

*二〇〇三年十一月七日,第四十回全九州中学校進路指導
研究大会福岡大会の記念講演『ゴール無限』の一部より。
(写真・福岡県中学校進路指導研究会/構成・桑田博之)
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