第39回 温泉ジャーナリスト 野口悦男さん |
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●写真と山を続けていける職業 高校は山岳部と写真部に入りました。単純で一途な性分なんでしょうね(笑)。安いカメラを買ってもらい,山に行って風景写真を撮っては,自分で焼く。それを繰り返していました。山と写真を大人になっても長く続けていくには何の職業がいいか,考えましたね。カメラマンという「自由業」は,田舎のほうではちょっと後ろ指を差される時代でした。高校二年生のときが,東京オリンピック。世の中の経済が上向きで,働き口がある時代に「自由業」になりたいとは言いにくかった。そこで思いついたのが,高校教師(笑)。先生がたが読まれている本で失礼なんだけれども,高校生から見ると,一番自分の時間が持てる職業は高校の教師だったんですよね(笑)。生徒もそこそこ大人だし,長期休暇があるし,教える教科は一教科でいい(笑)。当時,新しく政治経済科目ができたんだけれども専門の教師がいなかったので,政治経済の教師になろうと大学を選びました。 卒業を間近に控えた高校三年生のとき,先輩に紹介されて,写真家の三木慶介さんに出会うんです。僕は山岳写真の雑誌で投稿の常連で,三木さんはその審査委員長をやっていらっしゃいました。僕にとっては雲上人。その人に初対面で「今度どうすんの?」と聞かれ「大学に入って東京に行きます」って答えたら「住むところあるの?」「うちに来れば」って言われたんです。投稿の常連だったので名前は知っていてくれていたようですが,信じられないような話でした。 「着替えだけ持ってくればいいから」と言われ,下宿代も浮くし,即決(笑)。それが,内弟子生活の始まりです。朝は雑巾がけをしてから大学に行き,帰ってきてから先生のお手伝いをするという生活でした。雑誌の編集の人が写真を借りに来るので,その応対をします。写真のスクラップブックを見せて貸し出す写真を選んでもらい,それを暗室で焼いて渡すのです。 今まで撮っていた写真とは別の世界がそこにはありました。まずは,写真のとる量が違います。あらゆるニーズに答えられるように,いろんな方向で撮らなくはなりません。山をひとつ撮るにしても,空のスペースがいっぱいのもの,裾野のスペースが広いもの,一見間抜けな写真も必要なのです。それは,編集者が見出しだったり言葉を上にかぶせて乗せられるスペースが,空だったり裾野だったりするわけです。完成形はその雑誌の誌面。趣味の写真は1枚の絵画を描くように一つの枠の中で美しく収まるようにとるけれど,雑誌の写真はそれだけじゃだめなんですね。撮影だけでなく,現像も同じ。編集者に「白く色を抜いた文字をここに入れるからここだけ強めに焼いて」とか言われると,その部分だけ余計に光を当てて文字がきれいに見えるように焼くんです。出来上がった本を翌月見ると,自分の焼き具合によってこんなに本の出来上がりが違うのかとまじまじと感じる。文字と写真の関係,編集者とカメラマンの関係を,内弟子時代にびっちり学ぶことができました。 内弟子生活が三年以上続いたころ,職業選択の決断をそろそろしないといけなくなってきました。たくさん知り合った編集者も「独立するなら応援するよ」と言ってくれましたし,先生も「そろそろひとり立ちすればいいんじゃない」と言ってくれました。そのころは独立するときには,先生がいくつか仕事を分けてくれたり,編集者に「今度こいつが独立するから仕事発注してやってね」と声をかけてくれたりしたんですね。プロのカメラマンとしてやっていこうという決心はついていたので,大学は中退しました。単位が取れなかったわけではないですよ(笑)。卒業すれば就職しなければならない,卒業しなければなんとか免れる部分があるじゃないですか。なんていったって,高校教師にはなれないしね(笑)。 ●温泉達人への道 独立してからも,師匠である三木さんと同じように,山や,山の急斜面を滑ったりジャンプしたりするアドベンチャースキーの写真を撮っていました。そうしたころ,編集者が温泉の写真はないかと言うんですよ。山に撮影に行くときは,電車とバスを乗り継ぎ,ふもとのいで湯で一泊。朝から山に登り撮影をして降りてきて,ふもとのいで湯で一泊。そんな生活を長くしてきたので,温泉の写真は山のようにありました。 温泉ブーム,旅行ブームが来ていたんですね。でも,初めのころはほとんどのカメラマンが温泉の写真といえば熱海や箱根といった観光地のものしかもっていなかったんです。それまでの温泉は,おじさんたちが慰安旅行で行くというようなイメージだったんですね。それが,家族や女友達などで旅行する場所に変わってきたんです。僕は,四季折々の秘湯の写真を持っていました。編集者がそれを「どこの写真があるかリストにしてほしい」というので数えてみると,なんとすでに千近くありました。 雑誌の写真を撮るときには,来年の同じ季節にどのように使われるかということを先取りして考えなくてはなりません。それは,幼いころにメジロや魚を捕るときに周りをよく観察したように,時代の流れや人の欲求も読まなくてはいけないってことなんです。マスコミでの温泉の紹介は,年々増えていきました。次第に「写真だけでなくて,その温泉の説明の記事を書いてほしい」「ガイドブック1冊書いちゃえば」なんていう話が増え,「温泉といえば野口」とレッテルを周りがつけてくれたんです。 テレビも秘湯紹介の番組が増えていきました。なかでも「11PM」が大きかったですね。最初はブレーンとしての参加だったのが,そのうち出演して説明をするようになり,その肩書きも「温泉カメラマン」から「温泉達人」と勝手に変わっていきました。テレビの中では写真をとる必要性がないですものね(笑)。映像のなかで温泉を紹介するのは難しいところもあるんですよ。裸の場所だから,攻めるとやらしくなっちゃう。そうなると,いい情報でも嫌悪感を感じちゃいますよね。ボケが出来ないといけないし,朗らかさとゆったり感とが必要なんじゃないでしょうか。
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