第34回 サイエンス・プロデューサー 米村傳治郎さん

「ワークス」では,いつもスタッフが実験の開発やそのための道具の製作に励んでいます。展示室であり工房でもあります。
科学を音楽や絵画のように
 テレビの仕事をするようになったのは,そのころです。物理の教材研究会などで,実験の教材や研究成果をたびたび発表していたのを目にしたNHK教育テレビの高校講座のディレクターから,番組作りのブレーンとして声をかけられたのがきっかけでした。
 最初は裏方で,テレビでわかりやすく実験を見せるための方法などを考えるのが仕事でした。そのころ人気だった『たけし・逸見の平成教育委員会』などの裏方もやっていたんですよ。そのうち,先生として出演しないかという話が多くなり,高校教師という仕事にも見切りがついてきたこともあって,高校を辞めて独立して仕事をすることにしました。
 今でも「どういうお仕事ですか」などと聞かれると,一言では答えにくいのですが,自分でつけた「サイエンス・プロデューサー」という職種名を答えることにしています。科学実験のプロデュースということなんですが,なにをしているのかわかりにくいですよね(笑)。
 「科学とはなんですか」と尋ねると,多く返ってくる答えは,「学究としての科学」と,その成果を利用した「産業としての科学」の二つの面だと思います。
 ですが,元来「科学」には,遊びとしての側面がありました。縁日の見世物などで化学反応を使ったものも多くありますし,平賀源内のエレキテルなどもそうです。顕微鏡なども初期のものには,唐草模様がついていたりするんです。遊びのものならではの柄ですよね。引き起こされる現象に驚いて楽しむという「科学」が昔からあったんです。
 僕のめざす「科学」は,遊びの科学を「アート」の領域に近づけたものなんです。音楽や絵画のように,ファンタジーの世界に連れて行ったり,心をわくわくドキドキさせることができるもの。人の想像力を刺激する,それは,「アート」と同じ領域のものではないですか。
 独立して,仕事をしていくことは,思ったより,悩むことが多いです。自分の事務所を構えて仕事をすることは,一見,自分のペースで仕事ができるようにも思えます。でも,実際は,組織に所属しているときよりも,自分がやらなければならない雑務が多いのはもちろん,周囲のペースの影響が大きいのです。テレビに出ていたり,世間の風潮が科学に関心があるときにはこなしきれない量の仕事の依頼がある反面,世間から忘れられてこの仕事が成り立たなくなるんじゃないかと不安に思うこともあります。以前,日本テレビの『それいけkinki大放送』という番組に出ていて,そのコーナーは反響も人気も大きかったんですが,突然打ち切りになりました。そういうことは何度もあります。いいものを作って,人気もあれば,それでいいってことではないんですね。いろいろな立場の人のいろいろな考えによって左右されるのが,今の仕事の側面でもあります。
 一緒にやっているスタッフのことも考えると,自治体やテレビ局などに,売り込みの営業を積極的にするというのもひとつの方法かもしれません。しかし,やはり売り込みをするよりも,科学の不思議,科学の力をいかに見せるか,というところを追求していきたいんです。
 見せられる実験ショーをひとつ作るには,いくつものアイディアを出し,それをひとつひとつ試してみて,工夫を重ねる――膨大な手間と時間がかかります。でも,出来上がった実験ショーを見た多くの人たちが,科学の持つ,人をわくわくドキドキさせる力に魅了されたら,興味を持ってもらえたら,それが一番でしょう。『鉄腕アトム』が教えてくれた「想像力を刺激する科学」が僕の原点なんですから。

(構成・写真/石原礼子)
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