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●憧れは『鉄腕アトム』だった 子どものころ,なりたかった職業はマンガ家でした。『鉄人28号』や『鉄腕アトム』など少年マンガが大好きで,何度も,夢中になって読みました。『鉄腕アトム』などあのころの少年漫画には,「博士」がよく出てきますよね。ロボットと友だちになったり,宇宙都市で生活していたりといった「科学」が作り出す未来。社会全体が,そんな未来を想像するのを,とても楽しく思っていた時代だったと思います。わくわくするようなものを作り出す「科学」に,漠然とした憧れがありました。 僕の生まれ育ったところは,千葉県市原市の五井から小湊鉄道というローカル線で一時間ほど入った山里です。夏は川に飛び込んで水遊びをしたり,竹筒で作った仕掛けを夜のうちに川に仕込んでうなぎをとったり,いつも自然のなかで遊んでいました。年の近い子どもが少なかったこともあり,ひとり遊びが上手でしたね。ひとりで放っておかれても退屈しないし,寂しくもない(笑)。山を歩いたり,古い工具から自分でナイフを作ったり,そのナイフで工作したり 楽しみかたはいくらでも自分で見つけられました。親に「勉強しろ」と言われた記憶もあまりありません。優等生ではないけれど,手のかからない子どもだったんじゃないでしょうか。 ●苦手なのは試験のための勉強 今の子どもたちもそうですけれど,科学の実験の授業は,生き生きしますよね。先生にとっては,専門ではない人が勉強しながらやるしかなかったり,時間がかかるぶん授業の中でのバランスを考えたりと,大変なものだと思います。でも,物質が変化していくのが目で見てわかるときなどの科学の楽しさには,人をひきつける力があります。 中学も高校も,三年生になると,授業がおもしろくなかった(笑)。先生は受験が視野に入っているから,知識を教えるのに一生懸命になる。でも,今から思うと,僕は幼かったんですねえ。まるっきり子ども。いい学校に入らなきゃとか,そのためにはどんなことをしなければいけないのかとか,考えもしなかった。だからつまらない。授業中に教科書のほかのページの,カエルの解剖の写真をぼーっと見ていて,先生にひどく怒られたこともありました。いやになって学校に何日も行かなかったら,先生が家庭訪問に来た,なんてこともありました。 高校三年生のときの先生は,特に合わなかった(笑)。何でなのかという理由はわからなくても,嫌われているのって,自分でわかりますよね。嫌われていると思うと余計合わせようという気持ちもなくなってしまう。生徒全員を同じ気持ちで見るなんて難しいけれど,嫌われるのは気分のいいものじゃない。今でも思い出すと,そう思います。 そりが合わなかったからというわけではないと思いますが,「進路指導」をされた記憶はないですね。成績はあまりよくなかったけれど,それでも理科はまだ得意なほうだったし,科学に興味があってアインシュタインとか専門書を自分で買ってよく読んでもいたんですね。地元である千葉大学の理学部で科学をやろうと,自分なりに志望を決めました。 大学受験はあっけなく失敗しました。高校三年生のときはもちろん,一浪目も,さらに二浪目も。自分の実力と関係なしに受験校を決めたので当たり前かもしれませんね(笑)。 予備校もお試し程度にしか行かず,だらだらと自宅で過ごしていたんですが,さすがに三回も失敗するとあせってきました。二十歳にもなって親に申し訳ないって,それなりに思いつめたんでしょうね。新聞の折り込みチラシに載っていた新聞奨学生の募集を見て,新聞販売店に応募に行ったんです。今でもある,住み込みで新聞を配達しながら奨学金をもらうというシステムです。覚悟して面接を受けると,ひとこと「やめときな,無理だよ」と言われました(笑)。今よりも痩せていて,ひょろっとしていたんですよね。自分でもすぐ「無理かも」と納得して,おとなしく三浪目も家で過ごしました(笑)。
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