第21回 日本ガーディアン・エンジェルス理事長 小田啓二さん |
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●ニューヨーク市本部長になる 周囲の猛反対を押し切って大学を中退し,ニューヨーク国際本部の専従メンバーになった私でしたが,当時のニューヨークはまだまだ治安が悪く,もう毎日が戦場でした。 あちらの地下鉄で強盗事件が発生したかと思えば,こちらの街角では麻薬がらみの事件が起きたりと,無線が四六時中鳴り響き,シャワーを浴びる時間も取れない状態でした。毎日のように血を見ていたので,血を見ることに馴れてくる自分が辛かった時期もありました。 翌年,私の活動ぶりが認められたのか,それとも私をリーダーとして育成しようと考えてくれたのか,スリワからニューヨーク市本部長に抜擢されました。マイノリティーでもなく白人でもない,異文化の日本からやってきた二十歳そこそこの人間が組織をまとめ,四百人のメンバーそれぞれに的確な指示を出さなければいけないというのは,それはもうたいへんなプレッシャーでした。 服部君射殺事件が起きたときは,メンバーを引き連れてワシントンの司法省前で銃の規制を訴え,署名運動も大々的に展開しました。また,真珠湾攻撃五十周年のときには日系人のみならずアジア系の人たちが頻繁に暴力に見舞われる事件が多発したんですが,このときも全米をデモンストレーションして回りました。 ちなみに,もちろんガーディアン・エンジェルスだけの力ではありませんが,ニューヨークは,現在では全米主要二十五都市の中でも犯罪発生率が二十三番目という安全な街へと変貌しました。 ●日本支部の設立に走り回る 95年,阪神淡路大震災の視察を兼ね,久しぶりに日本に帰ってきましたが,帰国して十日後に地下鉄サリン事件が発生しました。他にも新聞,テレビでは毎日のように青少年の犯罪が報じられている。日本もそう安全な国ではなくなったと実感させられました。 このとき,今まで自分が経験してきたことが何かしらの形で「人の役に立つ」のではないかという使命感が湧いてきたんですね。アメリカに戻ってさっそくスリワに「日本支部」設立のアイデアを相談しました。スリワは「君がいなくなるのは残念だが,祖国のために力を注ぐのは大切なことだ」と快く承諾してくれました。 帰国するにあたり,果たして日本で受け入れられるだろうかという不安もわずかながらありましたが,ガーディアン・エンジェルスの活動というのは,これまで政治を乗り越え,宗教を乗り越え,人種を乗り越えて世界中に根付いていますから,きっと日本でも根付くはずだという自信のようなものも感じていましたね。 運の良いことに,帰国直後にテレビで自分のことが放映されたこともあり,数多くの賛同と問い合わせがあり,そのうちの二十四人がメンバーとして活動に参加してくれることになりました。 日本支部では「どうしたら犯罪を予防できるか」という活動を中心とするスタンスにしました。「日本における犯罪の敵は犯罪者じゃない。むしろ何事にも無関心な人たちだ」と思っていましたから。 ガーディアン・エンジェルスが行政と民間の良きパイプ役になれるよう,まず関係諸機関,地域商店街,地元住民に挨拶にまわり,メンバーと繁華街の安全パトロールを実践しながらも,地域で催される行事に積極的に参加したり,街の清掃活動も盛んに行ない,受け入れられる努力を必死でしてきました。 あれから五年,最初は好奇の目だけで見られていた活動も,おかげさまで多くの人たちに知られるようになり,首都圏以外にも関西,広島,仙台と全国各地に支部が設立され,メンバーも十六歳から七十四歳まで三百人を超えるまでになり,女性メンバーも二割を占めています。 ●コミュニケーションが唯一の武器 制服でタバコを吸っている高校生を見かけた場合,私たちは無理矢理に消させるようなことはしません。私たちにはタバコの火を消させたり,補導する権限などありませんから。ただ,一生懸命彼らと話をするよう心がけています。「なぜ悪いとわかっていて吸うの?」「タバコを吸いながら今何を考えているの?」と。最初はうるさいやつらだと思っていても,何度も話しかけるうちに私たちの姿を見ると照れくさそうに火を消すようになりますね(笑)。そのうちに彼らのほうから私たちを見つけると「オスッ」と話しかけてくるようになります。半分冷やかしかもしれませんが,それでもいいと思っています。何をしても誰からも注意もされない世の中,みんな心の中では寂しいんです。ヤクザでも暴走族でも私たちが話しかけて怒り出す人間はいても,無視する人間はいませんからね(笑)。 メンバーの中には,不良だった子もいます。このメンバーは「自分のような人間でも人のために役立てるんだ」ということを知り,かつての自分のような若者に積極的に話しかけては,心を開いてもらおうと日夜がんばっています。自分の目標が見つかった若者は強いですよ(笑)。 ガーディアン・エンジェルスのモットーをひと言でいうならば,「あえて気配りをする」ということなんです。言い替えるならば「よけいなお世話をしよう」ということです。これはかつての日本だったら地域のおじいちゃんやおばちゃんがあたりまえにしていたことです。見て見ぬふり,知らん顔は絶対にだめです。より良い地域社会づくりを進めるには,一人ひとりが地域社会に何ができるかを考え,みんなで力を合わせていくことが大切だと考えています。 最後にひと言,街で赤いベレー帽に白いTシャツを着た私たちメンバーを見かけたら気軽に声をかけてください。それがなによりの励ましになりますから。
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