第21回 日本ガーディアン・エンジェルス理事長 小田啓二さん

かっこいい人とは信念を貫き通す人だと思います。学校の先生はぜひそうあってほしいですね
ガーディアン・エンジェルスを知る
 アメリカでの高校生活は想像以上に苦労の連続でした。いくら英語が好きだといっても彼らと普通に会話できるほどの語学力はないですからね。ホストファミリーと会話するのも辞書片手でしたし,学校での授業はちんぷんかんぷんでした(笑)。それでも少しずつクラスメートとコミュニケーションを取っていって,完全に仲間として受け入れられるには一年間近くかかったと思います。
 高校卒業後,ボストン大学に進学しましたが,開放感も手伝って,テニスをやったり,仲間と飲んだり踊ったりの日々でしたが,ふと「このままでいいのだろうか?」と考えるようになったんです。そんなときにルームメイトから「ガーディアン・エンジェルス」という犯罪防止ボランティア組織の存在を聞き,無性に参加してみたくなったんです。かっこいいユニフォームで地下鉄や街中をパトロールするというところに魅力を感じたんですね。初めはそんなミーハー的な好奇心だけだったのです(笑)。


初めての地下鉄パトロール
 ガーディアン・エンジェルスのボストン支部を電話帳で調べて,さっそくアポイントを取りました。ボストンのダウンタウンの地下鉄の駅でメンバーたちと合流して,一緒に車内パトロールに連れていってもらいましたが,最初は正直こわかった。メンバーはほとんどが黒人やラテン系などのマイノリティーの人たちでした。大学での友人はみんな白人の裕福な家庭の出身者ばかりですから,ふつうだったら知り合うこともない人たちなわけです。
 しかし,彼らと深く付き合うようになって,一瞬でも「こわい」なんて思った自分が恥ずかしくなりましたね。メンバーの中には父親がアル中であったり,姉妹が売春婦であったり,家族の中に犯罪者がいる人もいます。巡回する地域の家には窓ガラスさえない家もたくさんありました。それでも自分たちの住む地域は自分たちの手で守ろうと,命がけで活動しているメンバーたちの姿に衝撃を受けたんです。
 ここで知っておいてもらいたいのですが,パトロールといってもガーディアン・エンジェルスは警察官ではありませんから一切武装しません。あくまでチームワークとコミュニケーションが武器なんです。例をあげると,地下鉄内で脅されているような人を見かけたら「どうかされましたか?」とみんなで話しかけるわけです。これだけでも犯罪行為は未然に防げますからね。ガーディアン・エンジェルスが車中に現れると,誰もがホッとした表情に変わっていったのを今でもはっきりと覚えています。ただ漠然と英語が話せるようになりたいというだけで留学し,何をやっても不完全燃焼の自分でしたが,理屈抜きで情熱をぶつけられる対象が見つかったような気がしましたね。


カーティス・スリワとの出会い
 その年の大晦日,特別パトロールの応援のためニューヨークに行きましたが,そこでガーディアン・エンジェルスの創設者であるカーティス・スリワと知り合うことができました。
 ここでガーディアン・エンジェルス設立の経緯をお話ししたいと思います。ガーディアン・エンジェルスは1979年にニューヨークのサウスブロンクスで,十三人の若者が地下鉄をパトロールすることから始まりました。当時,経済不況のあおりで警察官が大量に解雇されたこともひとつの原因で治安が極端に悪化し,ニューヨークの地下鉄は,昼間でも安心して乗車できない状態になっていました。殺人発生件数も全米一だったそうです。そこでもう「見て見ぬふりはできない」とスラム街のゴミ拾い活動をしていた若者たちが立ち上がったのです。地下鉄や街頭のパトロールから始まった活動は,麻薬撲滅運動にまで広がり,瞬く間に全米の人の共感を得るまでになったのです。現在では世界十一カ国,五十都市,約五千人がメンバーとして活動しています。
 その中心人物だったスリワに間近で接してみて,彼のリーダーシップと岩のような意志の強さに感動を覚えました。できるならば彼の近くでいろいろ吸収したいという気持ちになりました。意志あるところに道は開けるの言葉通り,ボストンに帰った私に一本の電話がかかってきました。
「大学の休みを利用して,もう一度ニューヨークにきてみないか?」
 電話の主は,スリワその人だったのです。


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