第4回 手作り三味線奏者 野村深山さん

福祉施設で三味線の製作指導を行なう野村さん
栄養不足で貧血気味に
 子どもたちがアルバイトを始めてくれるようになったのは、ありがたかったですね。その頃といえば、会社時代にたくさんもらった素麺ばかり。毎日毎日、冷たい素麺か温かい素麺かの違いだけです。
 息子は、お金のかからない県立の高校に行ってくれて、娘もお金のかからない短大に進んでくれました。頼んだわけでもないのに、息子は高校に入るとすぐ、焼肉屋でアルバイトを始めました。サラリーマン時代、わが家では給料が出ると家族そろって焼肉を食べに行くのが、唯一の楽しみだったんです。娘も結婚式場にアルバイトに行ってくれたんですが、結婚式場というのは、あまりものがすごいんです。子どもたちは、毎日のようにごちそうを持ち帰ってくれるようになりました。おいしいものを食べると、体にスタミナがついてくるし、心も明るくなってきます。家族に笑いが戻り、元気が出てくるので、三味線の音も急によくなったように感じられます。素麺ばかり食べていた頃は、栄養不足から貧血になり、よく立ちくらみをしてました。それではいい音が出るわけがありません。道に千円札が落ちているのを見つけても、すぐには拾えないほどフラフラ(笑)。それが子どもたちのおかげで、めきめきと元気になりました。息子は高校を出てから警察官になりました。ずいぶん父親の職業のことを宣伝してくれましてね。寮や勤務先の署内に、私の紹介記事が出ている新聞の切り抜きをはったりしてくれた。そのうちそこの署長さんまで、一緒に協力してくれるようになりましてね。顔写真だけはられるのでしたら、あまりいい気分はしませんが、新聞の記事ですから(笑)。
 三味線を始めた頃は大反対だった家内も、いまでは私の一番弟子、野村安山を名乗っています。ちなみに、二番弟子は野村南山といいます。家内は最初、三味線自体を毛嫌いしていまして、「ちょっと触ってみない」といっても、「冗談じゃないわよ」と怒っていました。いまでも、指導に熱が入り過ぎて、「ちょっと音が違うな」などといったら恐いです。「私は、何も好き好んで、こんなことをやっているんじゃない」と、いわれてしまいます。

 今年、野村さんはデビュー以来初めて、CDアルバム「木曽ひのき三味線の響 ベオグラード’99」を制作した。緑の大地、木曽から平和を訴えたいとの思いを込めている。

木曽ひのき三味線で初CDを制作
 独立後10年たって、ようやくCDを出すところまできたんですが、これも子どもたちが10万ずつ持ち寄り、家内も強くすすめてくれて。これには感激しました。娘は「野村深山のCDをつくる会」つくり、自分が事務局の責任者をしてくれたんです。いろんな方からの募金集めを、娘が先頭に立って始めてくれまして。
 今回のCD制作ではいろいろと悩みましたが、悩んでいる暇があれば、どんどんやってしまったほうがいいですね。なんとかなります。
 今回、7曲作曲しましたが、最初は木曽の山にこもってもなんにも出てこなくて。「ベオグラード’99は、テレビのニュースを見ていて曲がうかびました。6千枚つくったCDが、うまく全部売れれば、そのうち300万円をコソボ難民のために寄付しようと決めています。ありがたいことに、ライブが終わったとき、コンサート代とは別に募金してくれる人がいるんですね。
 このCDを出せたのも、木曽ひのきとの出会いがあったからです。5年ほど前、木づくり三味線の研究をもっとしたいと思って、林野庁に電話をかけてみたんです。「木で三味線をつくって演奏しているものですが、いろいろ教えてもらいたいことがあるんです」といいましたら、担当者はどうも木と三味線が結びつかないようで、話がなかなか進みません。それで、ラチがあかないものですから、自分でつくった三味線を持って、林野庁に強引に押しかけましてね(笑)。
 手のあいている職員の人を呼んでもらって、急きょ、これも強引に林野庁の部長室でミニライブをやってしまいました。するとある職員の方が、「あ、これはおもしろい。日本の木、日本の木材をPRするのにいいんじゃないか」といってくれたんです。それからは、いろいろ協力していただき、その後林野庁だけでなく、農水省の講堂でもコンサートをさせてもらいました。
 そうこうしているうちに、林野庁にいた担当の人が長野県の木曽郡に転勤になり、「木曽ひのきのイメージアップのために、木曽ひのきで三味線をつくれないだろうか」と、持ちかけられたんです。それまで私は、素麺などの空き箱、廃材をつかって三味線にしていました。木曽ひのきのような高級木材は簡単に手に入らないですから、ぜひつくってみたいと思いました。
 実際につくってみると、いい音が出るんです、これが。民謡だけでなく、ジャズやクラシックなど、幅広いジャンルにも対応できる音色なんですね。それから、木曽をテーマにした曲をつくったりしているうちに、木曽郡から「木曽ふるさと大使」に任命されました。この木曽ふるさと大使には、NHKの解説委員をしている平野次郎さんをはじめ、全員で13名います。
 いまでは、木曽郡の大桑村を中心に、80人ほどの人が木曽ひのき三味線の製作と演奏に取り組んでいますので、両方の指導のために、月一度は木曽へ出かけています。いずれ、木曽ひのき三味線の全国大会をやってみたいと思っています。

<<戻る つづきを読む>>
2/3


一覧のページにもどる
Copyright(c) 2000-2024, Jitsugyo no Nihon Sha, Ltd. All rights reserved.