東野圭吾雪山祭り

対談東野圭吾×上村愛子

日本を代表するベストセラー作家・東野圭吾。
ワールドカップモーグルで唯一の日本人総合優勝者・上村愛子。
全く別の分野で活躍する二人が、ともに愛する雪と山と小説の魅力を語り合った。
収録:2016年11月某日

写真・山元茂樹
photographs by Shigeki YAMAMOTO
撮影協力・OGASAKA SNOWBOARDS、マテリアルスポーツ、SMITH
special thanks : OGASAKA SNOWBOARDS, Material Sports, SMITH

緊張の対面

最初にお会いした時、「あれ、意外と小さいんだな」って思いました。――東野

上村
お会いするのは3回目ですね。
東野
最初がドラマスペシャル「白銀ジャック」の記者会見。二度目が先日の映画「疾風ロンド」の試写会。
上村
東野さんの作品は『白夜行』のころからずっと読んでいて大ファンなんです。ちゃんとお話しするのは今日が初めてで、ドキドキしています。
東野
僕にとっての上村さんの最初の記憶は、長野オリンピック。長野のイメージがすごく大きい。いつも画面を通じて見ていたからか、アスリートのイメージからか、最初にお会いしたとき、「あれ、意外と小さいんだな」って思いました。
上村
あのときは白いワンピースを着ていて、結構女性らしい格好でしたね。スキーウエアだとまた違うと思います。
東野
以前、サイン入りのゴーグルを頂きましたね。俳優の渡辺謙さんも同じものを贈られておっしゃってましたが「サインがもったいなくて使えない」(笑)。大切に、仕事場に飾っています。
上村
ありがとうございます。すごく光栄です。

ウィンタースポーツとのかかわり

里谷多英さんや三浦豪太さんがすごく格好良くて、「わたしもモーグルスキーをやる!」って決めたんです。――上村

東野
僕が唯一取材で行った五輪が、2006年冬季トリノオリンピック。ただ、残念なことにスケジュールが合わずに、上村さんのモーグルは見られなかった。
上村
『夢はトリノをかけめぐる』を読ませていただきました。選手の気持ちをものすごくわかってくださっているので、嬉しくなりました。わたしはモーグルスキー以外のことはあまり知らないので、他の競技の選手たちの描写、試合に向けての気持ちなども興味深く読ませていただきました。
東野
オリンピックといえば、僕が中学2年のときの札幌オリンピックが、一番インパクトがありました。日本がメダルを独占して、スキーやスピードスケートなどをいっぺんに知る機会になった。それでウィンタースポーツが刷り込まれたんだと思います。
上村
わたしにとって大きなきっかけとなったのは、1994年リレハンメルオリンピック。里谷多英さんや三浦豪太さんがすごく格好良くて、「わたしもモーグルスキーをやる!」って決めたんです。
東野
そして、4年後の長野オリンピックに高校3年で出場されましたね。「やろう、出よう!」と思い立って、実際にオリンピックに出ちゃうのがすごいです。
上村
時代ですかね。今のモーグルスキーだったら、競争がすごく厳しいので難しいだろうなと思います。当時はモーグルをやること自体が楽しくて仕方なかったです。
東野
僕は大阪育ちで、周りにスキーをする人がいなかったんですが、中学3年のときにスキーを始めました。雪とのかかわりというと、ちょっと面白い縁なのですが、一緒に住んでいた叔父さんの存在。叔父さんがしょっちゅう家からいなくなるんですよ。
上村
しょっちゅういない?(笑) 
東野
すごく大きなリュックに荷物を詰めてどこかへ行って、何カ月も帰ってこない。あとから知ったんですが、叔父さんは安全索道という会社でスキー場のリフトやゴンドラをつくっていたんです。
上村
すごい!
東野
家に山用のスキーがあったんですが、叔父さんはコースじゃないところを滑っていたんですね。そんな縁もあって、僕はほかのスポーツよりウィンタースポーツに思い入れが強いんだと思います。

スランプについて

言ってみればほぼスランプです(笑)。――上村

上村
映画「疾風ロンド」で、スノーボードクロスの選手・千晶がパトロール隊員の根津さんに悩みを打ち明けるシーンがありますが、「引退したくないけど、自分の限界を感じる」というのは選手だったら絶対にいつか訪れる瞬間。それを話せる人がいて、「千晶さん良かったなぁ」と思いました。千晶はすごくまっすぐで素敵な女性だなと思います。迷いながらも競技に向き合って、「優勝したらデートしましょう」って根津さんに言うのもすごく可愛い。
東野
アスリートでない人間からすると、アスリートの女性は普通の女性と違うのではないか、と考えてしまいがちで、スポーツを離れると普通の“女の子”に戻るはずなのに、なかなかそう思えない。
上村
わたし自身は実際に、やはり現役のころは若干男っぽいような、女性から一歩離れていた気はします。『疾風ロンド』の千晶は、根津といっしょに危険な場所まで捜し物をしますが、普通の女の子だったら、相手のことを好きでも一緒に行動はできないんじゃないでしょうか。勝気で、男性と同じことをする、というのは選手であるときに強く出る一面だと思います。
東野
『疾風ロンド』では女性アスリートのスランプと、そこから脱け出す様を描いたのですが、上村さんのご経験ではいかがでしたか?
上村
言ってみればほぼスランプです(笑)。全部出来た! という日もあれば、次の日は全然うまくいかなかったりもする。ある意味、精神的には毎日スランプといった状態でした。
東野
競技では審査方法が変わることがありますが、そのときはどう感じられますか?
上村
ポジティブに考えます。例えばターンを見る、と言われれば「わたしはターン得意だな」とかエアーを見ると言われれば「エアーの技術を伸ばせばいいんだな」とか。ただ、大会のシーズンが始まってみないと分からない部分が多いです。
東野
ルール変更がスランプのきっかけになることはありますか?
上村
ソルトレイクオリンピックのあとにエアーで大きなルール変更があって、そのときはもうモーグルをやっていけないんじゃないかと思いました。それまでは頭と足がさかさまになってはいけないというルールがあったのですが、バックフリップとかが解禁になって、それまでとは全く違う技術を要求されて……。変更後の一年目は大きなことはやらなかったのですが、戦えないと意味はない、出来ることをやるしかないという気持ちでチャレンジしていきました。モーグルという競技の成長過程にわたしは選手をやっていたので、評価基準がそのときどきで全然違い、それに対応していきました。得意だと思ってやっていたことが、次の年には減点対象になってしまったりもする。スランプというよりは、日々課題が変わっていくので、柔軟に対応していくしかないなと思いながらの選手生活でした。

映画「疾風ロンド」の面白さ

スキーやスノーボードがいかに楽しく、ゲレンデがどれだけ面白い場所であるかを分かってもらえるものがつくりたかった。――東野

上村
観終わった瞬間に、立ち上がって拍手したくなったくらい素晴らしい作品でした。ストーリーが面白いのはもちろん、思わず笑っちゃうシーンや、滑走シーンに嘘がなく、かっこつけていないリアルな描写も良かった。「すごく良いスキー&スノーボードの映画だな」って思いました。
東野
スキーやスノーボードがいかに楽しく、ゲレンデがどれだけ面白い場所であるかを分かってもらえるものがつくりたかった。そして、家族の良さやゲレンデでのルールの大切さも伝えたいことの一つです。
上村
映画も小説も、とっても面白くて、どちらからも人と人とのつながりのあたたかさを感じました。
東野
男の子と女の子がゲレンデで衝突しそうになって、お互いイラッとするんだけど、女の子が「ケガはない?」と訊くシーンがあります。相手への気遣いですね。そういった細かい箇所も気付いて観てもらえると嬉しいです。
上村
親子愛もひとつの大きなテーマでしたよね?
東野
小説ではコミュニケーションを大事に描いたのですが、その基本は家族。かつてスキーやスノーボードをやっていた親御さんが映画を観たことで、子どもを連れて再びスキー場に行くようになったらいいなと思います。
上村
わたしも母親とたまに滑ります。普段から仲良しなんですが、家では母に教わってばかりのわたしがスキー場では教える立場になったり、会話の内容も家でのものとは違ったりして、それが面白い。
東野
日本はいい雪が降る国だから、それを楽しまないのはもったいない。ぜひ、雪山で遊んでほしい。スキーでもスノーボードでも、ソリでもいいと思う。
上村
わたしも同じ思いです。選手を引退してからは、あと何年、初雪を見られるのかと考えるようになりました。夏がきたら海に行くのと同じ感覚で、多くの人が冬は雪山で遊んでくれたら嬉しいです。

野沢温泉村が作品の舞台

「この村の人々はスキー場を愛しているんだろうな」と想像しながら書きました。――東野

上村
『疾風ロンド』『雪煙チェイス』『恋のゴンドラ』の舞台である里沢温泉村は野沢温泉村がモデルですが、なぜ野沢を選んだんですか?
東野
『疾風ロンド』を執筆する前に、いくつかのゲレンデを取材したんです。当時、「何かを捜す」というテーマがぼんやり頭の中にあったのですが、野沢のガイドの方に、「写真を見ただけでどのスキー場か分かりますか?」という質問をしたところ「遠くに何が見えているか、稜線であったり木の生え方であったり、雪の付き方などが分かれば特定できます」と言われてインスピレーションが刺激された。ほかにも、いろいろなフィーリングが良くて野沢を舞台にしようと決めました。
上村
『疾風ロンド』の冒頭で、写真からスキー場を捜し当てるくだりは面白かったです。書かれている景色やものがすごくリアルで、わたし自身が目にしたものばかり。「あるある、あれだ」と分かるのがなんだか嬉しかった。やはり野沢温泉はお好きですか?
東野
もちろん好きです。最初は取材で訪ねましたが、以来、毎年行くようになりました。ゲレンデが広大で、雪質が最高ですごく楽しい。描写がリアルになるのは、他の作品でもそうなのですが、だいたい具体的な場所を舞台にするからです。加賀恭一郎シリーズでは日本橋にするとか。場所を特定して書くので、実在のものを登場させる。映画にも出る喫茶店「カッコウ」も、モデルとなった店そのままです。「野沢菜坦々麺」も実在のメニュー。実在のものという裏付けがあるから、結果的に良い作品になると思っています。
上村
野沢ほど、町とスキー場が一体化している場所は少ないですよね。村とスキー場のかかわりが濃い。
東野
『雪煙チェイス』も野沢を舞台にしたから出来た話。村の人たちがたくさん登場して、いろいろと協力してくれる。「この村の人々はスキー場を愛しているんだろうな」と想像しながら書きました。

『恋のゴンドラ』にドキドキ!

水城さんみたいなタイプの男性は嫌です(笑)。――上村

上村
『恋のゴンドラ』は、「この恋の行方は天国か地獄か」という帯コピーを見て、サスペンス要素はあるのかな? どんな話なのかな? と思いながら読みましたが、どんでん返しの連続で、すごく面白くてあっという間に読み切っちゃいました! 可笑しくて噴き出しそうになるシーンも多くて、東野さんはこんな小説も書かれるんだな、と驚きました。浮気相手との旅行中に、本命の彼女とゴンドラに同乗するなんて……。こんな状況になったら困るだろうなと思いながら、ドキドキそわそわしました。
東野
それは男性目線ですね! 女性の感想としては珍しい(笑)。登場人物についてはどう感じられましたか?
上村
水城さんみたいなタイプの男性は嫌です(笑)。お話上手ですごくモテて、女性の気持ちもなんでも分かっちゃうところが苦手。朴訥だけど、じっくり話をしたら理解してくれる日田さんのような男性のほうが好きですね。
東野
『恋のゴンドラ』は雑誌「SnowBoarder」での連載だったのですが、趣味で書いた作品なんです(笑)。編集者から書け書けって頼みこまれて。びっくりしましたよ、「スノーボード専門誌で小説!?」って。どの短編にも仕掛けがあって、怖いどんでん返しをいろいろ盛り込んだんですが、「スキー一家」だけはちょっとほっこりする話にしました。
上村
すごく良かったです! お父さんのキャラクターが秀逸で。スキーヤーのお父さんには共感する部分も多かったです。

最新作『雪煙チェイス』の衝撃!

とにかく、都会にいる人をスキー場に連れていきたかった。――東野

上村
『雪煙チェイス』は雪山シリーズ三作目。前作までと同様、脇役として根津と千晶というキャラクターが登場しますが、これまでの作品とは雰囲気もシチュエーションもまったく違いますね。メインの舞台はスキー場ですが、東京で殺人事件が起きて物語が始まる。刑事もののシリアスな雰囲気もあって、また違った面白さがありました。三部作の舞台やテイストを変えるというのは、最初から構想があったのですか?
東野
そういう訳ではないんですが、同じことをやってると読者に飽きられるし、書いてる僕自身が飽きちゃうんです。ただ、何かを捜す話にしよう、というのはひとつのテーマとしてありました。『白銀ジャック』では爆弾、『疾風ロンド』では生物兵器。じゃあ次は何を捜そうかなと考えて、「人だ!」と。人となると、それは女性だな、美人を捜すに違いない、じゃあなんで美人を捜すんだ? 美人を捜すために切羽詰まった状況とは? と想像を膨らませていって、物語の骨格が出来ていきました。
そして新作は東京も舞台にしようと決めていました。『白銀ジャック』はひとつのスキー場で物語が完結します。『疾風ロンド』はスタートは東京ですが、スキー場に移動してからはそこで物語が完結する。『雪煙チェイス』では東京の要素を多めにしました。とにかく、都会にいる人をスキー場に連れていきたかった。スキー場は決して遠くない、都会から二時間もあれば行ける場所なんだと読んだ方に伝えたかったんです。
上村
都会と雪山を近づけようと思って書いてくださっているのは、すごく有り難いです。わたしは近いという感覚があるのですが、一般的にあまり知られていないのは残念に思うので。
東野
雪山へは車でも新幹線でも行ける。『恋のゴンドラ』の登場人物は日帰りで行ったりもする。そういうことが可能だと広く知ってほしくて、こっそり強調しました。僕は五月末まで滑りにいくのですが、「まだやれるんですか!?」と驚かれることが多い。ウィンタースポーツはもっと身近で、手軽で、長期間楽しめるものだと知ってほしい。僕の作品がそのきっかけになれば幸いです。

雪山三部作※1に託した願い

三部作は今回でひとつの区切りですが、実を言うと寂しいんです、――東野

上村
『白銀ジャック』『疾風ロンド』を読んできて、千晶にはずっとスノーボードに係わっていてほしいという思いがあったので、『雪煙チェイス』で「実家に帰ってスノーボードは二度とやらない」という話が出て来たときはすごくびっくりして、ショックでした。
東野
アスリートがいつかは引退しなくてはいけない、というエピソードはすごく考えたところなんですが、選手として向き合わなくてはいけないひとつの試練という形で書きました。僕はアスリートではないですが、アスリートの方々の思いを代弁したい気持ちで書いている部分があります。どんな思いでやっているのか、どんな思いで雪山を見ているのか、雪山の魅力など。もちろん一般の読者に楽しんでもらいたい、という気持ちが第一のベースですが、アスリートの方に読んでいただきたいという気持ちも強いです。
上村
最後に千晶がどのような選択をするのか……読んでない方には内緒ですが、最高に爽快なラストが用意されていましたね!
東野
雪山三部作は今回でひとつの区切りですが、実を言うと寂しいんです、すごく。「じゃあもっと書けばいいじゃん!」と言われることもありますが、もう書けません(笑)。とりあえずは、雪山を舞台にやりたかったことは書ききった感じです。
もともとはスノーボードが好きで書きはじめたのですが、スキーも書くし、スキー場を描く。僕の作品がめぐりめぐって、スキー場の繁栄に役立てたら嬉しいです。素晴らしい雪が降る日本のスノーシーンが、活気のあるものになってほしいと願っています。
  1. 『白銀ジャック』『疾風ロンド』『雪煙チェイス』

上村愛子

1979年、兵庫県生まれ。2歳のときに長野へ引っ越し、その後スキーを始める。中学3年生でナショナルチーム入り。1996年、初出場のワールドカップ、スイス・マイリンゲン大会で3位。98年長野オリンピックで7位。以後、オリンピックでは、02年ソルトレイク6位。06年トリノ5位、10年バンクーバー4位、14年ソチ4位と、長きにわたり一線で活躍。08年には、日本人として初となるワールドカップ女子モーグル総合優勝を果たした。14年に引退後は、ウインタースポーツの普及活動を行っている。『スキーがうまくなるカラダのつくり方』などの著書がある。

写真:上村愛子

実業之日本社の東野作品

  • 書影:白銀ジャック

    白銀ジャック

    A6(文庫)判並製
    本体価格 648円+税

    アマゾンへリンク

  • 書影:疾風ロンド

    疾風ロンド

    A6(文庫)判並製
    本体価格 648円+税

    アマゾンへリンク

  • 書影:漫画 疾風ロンド

    疾風ロンド

    (マンサンコミックス)
    漫画 菊地昭夫
    B6判並製
    本体価格 648円+税

    アマゾンへリンク

  • 書影:恋のゴンドラ

    恋のゴンドラ

    四六判並製
    本体価格 1200円+税

    アマゾンへリンク

  • 書影:雪煙チェイス

    雪煙チェイス

    A6(文庫)判並製
    本体価格 648円+税

    アマゾンへリンク