渋沢 栄一

渋沢 栄一 ( シブサワ エイイチ )

「日本の近代資本主義の父」と称される実業家。
1840年(天保11年)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)の農家に生まれる。1863年(文久3年)、「尊王攘夷」思想の影響を受け、従兄たちと高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが計画を中止し、京都へ出奔する。1864年(元治元年)、一橋慶喜に仕える。1867年(慶応3年)、将軍・徳川慶喜の実弟であり、後の水戸藩主・徳川昭武に随行しパリ万国博覧会を見学するほか、欧州諸国の社会、経済・産業、政治、組織などに触れる。1868年(明治元年)、明治維新となり欧州から帰国。1869年(明治2年)、静岡に「商法会所」を設立。その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わる。1873年(明治6年)、33歳で大蔵省を辞した後、一民間経済人として活動を開始する。そのスタートは「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)であった。以降、第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設 ・育成に力を入れ、生涯に約500もの企業に関わったといわれる。さらに約600の社会・公共事業への支援並びに民間外交に尽力した。1931年(昭和6年)、91歳にて生涯を閉じる。日本という国、社会、人材の育成に尽くした一生であった。