第1回 筑波大学教授  藤田晃之さん

教科調査官を受けた段階で、大学に戻ることは諦めていましたね。まさか戻れるとは思っていませんでした。

任官を決めたふたつの理由
 大学院生を経て私立大学の教員となり、母校に戻ってから数年後に准教授の職を得た年、通常であればそのまま教授を目指すのですが、そのタイミングで文部科学省でキャリア教育を担当する調査官の話をいただいたことは、私にとって大きな決断を迫られた出来事でした。
 お受けした理由はふたつあります。ひとつの理由は、前任の宮下和己調査官(現・和歌山県立桐蔭中学校・桐蔭高等学校校長)が献身的にお仕事されているのを大学教員、一人の外部委員として拝見し、尊敬していたことがあります。もうひとつの理由は、研究者としていくら論文を書いても、教育現場の現実は変わらないと感じていたことです。かつての私のように受験に呑み込まれて、人を蔑んだり劣等感を持ったり、自分自身を嫌いになる子が大勢いるんだろうなと考えた時に、教育行政を担う国の機関で働くという選択肢をポンと与えられたことは私にとって晴天の霹靂でした。
 調査官とは教員や指導主事などの「現場」での経験をベースとした方が活躍される仕事だというのが私の認識だったので、自分のような研究畑の人間が就く仕事だとは思っていなかったんです。しかし考えてみると、研究者としていくらボールを投げても現実は変わらない、けれども調査官ならば、変える方向に一歩でも近づける可能性があると考えたんですね。これは神様か誰かが授けてくださった機会だと覚悟してお受けしました。


感じたプラス面、マイナス面
 キャリア教育担当の調査官になって感じたことはいろいろあります。プラス面では、行政の方々は皆さん優秀な方ばかりですが、進路指導の長い歴史や理論の積み重ねについてはフォローできませんので、私のような進路指導に特化した人間のいる意味があるんだと気づいたことです。
 マイナス面では、行政用語から日常生活まで言葉が全部違うことに面食らいました。私の書いた物は行政文書の形になっていないので、役所では何も通用しないんです。いかに大学教員が持って回った言い方をしていたかということを実感しましたし、逆に言えばここまで単純化してしまう行政文書の恐ろしさ、その難しさも感じました。
 教科調査官時代は、チームで仕事をできたことが幸せでした。いろんなメンバーと仕事をし、夜中まで話し合ったことは私にとってかけがえのない財産です。
 また、省を越えてキャリア教育を進める上で、経済産業省や厚生労働省の方々とも腹を割って議論したことも貴重な体験でした。この「チームで仕事をする醍醐味」というものは、数人が同じ立場で仕事に取り組むということがない大学教員では味わえない、かけがえの無い5年間でしたね。



娘の父親としては全くダメ。「偉そうに言うわりに 何もしないじゃない」とカミさんの文句のタネです。
中高生、先生に贈るエール
 現在の日本は、私の時代と比べると遥かに自分の将来について考えなくてはいけない時代になっています。不透明な時代を生き抜いていくことが課せられている今の中高生は、将来のリスクと可能性を把握して、そのリスクにどう備えなくてはならないのかということを知らなければいけません。私たちの言葉で言うとキャリア教育、中高生の言葉ならキャリア設計というものが重要です。
 設計しても思い通りにはいきませんが、何の設計もなければリスクさえ読めないわけです。軌道修正をしなくてはいけなくなった時のためにも、キャリア設計をしっかりやるべきだと思います。
 私は今の中高生にはできると思っています。学校文化の中だけで生きていた私たちと違い、今の中高生はインターネットを使ったり、ボランティア活動をしたりと、学校の枠を遥かに越える外の世界を経験している若者が沢山いて、社会に繋がっている割合はずいぶん高まっています。
 だからこそ、学校文化の中に埋没してしまっている人は、そのことを自覚して狭い世界の殻を破る努力をしてほしい。もし今はまだ怖くてできないなら、大学に入ってからでもその殻を破って欲しいなと思います。
 中学校や高校の先生方には、行政にいる頃から言い続けていることですが、先生方はキャリア教育のみならず、ふだんの授業に関しても孤軍奮闘をなさっているように感じます。自分の教え子のことすべてに責任をもつ、それは素晴らしい文化です。しかし一方で疲弊してしまっている。それならば地域の方々に学校を開いて、助けてもらえるところは助けてもらってもいいと思うんです。
 特に先生方がよくおっしゃることには、私は教員しか経験していないのでキャリア教育は荷が重い、と。世の中には教員以外の方々がたくさんいるんですから、そういう人に声をかけて、社会人講話でもワークショップでもしてもらう。授業でも、理科にしろ何にしろ、その知識を活用して実際に事業をされてる方が沢山いらっしゃるのですから、年に一度でもそういう人たちに授業を開いていただく。そうすれば子どもたちが今学んでいることが実生活に活きているな、という実感が持てるじゃないですか。そういう形で先生方が孤軍奮闘しないでやっていける方向に変わっていけたらいいなと考えています。


大学に戻った今、考えること
 キャリア教育にご縁をいただき、また行政の動き方もわかった今としては、行政の中にいる人にも、研究畑だけを歩んできた研究者にもできないような私なりの研究を続けていきたいと考えています。行政側が思わず読みたくなる、読まざるを得なくなる研究の進め方が以前よりわかっているという小さな自負もあります。文科省での5年間を活かした研究で、これからも行政を後押ししたり、お手伝いをしたい。それが夢ですね。

(構成・井田貴行/写真・梅村 隆)
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