第29回 作家 松井 計さん

住居がないと,仕事もアルバイトも見つからないということがわかりましたね
人間は外見がすべて
 真冬の東京でのサバイバル生活が始まりましたが,路上生活をするにあたってのルールを三つ自分に課しました。「路上では寝ない」ということと「残飯をあさらない」「ホームレスのコミュニティに入らない」ということです。そうしていれば,自分は住む場所のない小説家でいられると思ったんです。もちろん「ホームレス」の人たちを見下していたわけじゃありません。私には彼らのように生きる生命力も覚悟もなかったからです。
 夜間は寒くて眠ることなど絶対に不可能ですから,ひたすら夜が明けるまで都内を延々と歩きつづける。不思議なことに真夜中に墓地の中を歩いていても怖くなくなるんです。死がそれだけ身近なのかもしれません。そして昼間は図書館などの公共施設で睡眠を取るといった生活です。とはいえ,横になって眠ったらすぐに叩き出されますから,椅子に座ったまま眠るわけです。横になって眠るということがいかに贅沢なものかということを実感しましたね(笑)。食費をどうやって稼ぐのかいえば,これは「セドリ」を繰り返していました。最近のチェーン店の新古書店には専門知識をもっている店員さんがいないんですね。そういう店先に百円均一のワゴンがあるんですが,中には掘り出し物があるんです。それを買っては,その価値のわかる古書店にもっていって利ざやを稼ぐわけです(笑)。一日数百円程度の儲けにしかならないことが多いんですが,それでもって百円ショップで乾パンなんかを買い,風呂に入ったり,コインランドリーで服を洗濯するわけです。「ホームレスが洗濯?」と思う人もいると思いますが,人間は外見がすべてなんです。とりあえず普通の格好さえしていれば,デパートの食品売り場で試食することも,コンビニで暖を取ることもできますからね。

ハウスレスではなくなったけれど
 路上生活は自由な暮らしではないかと思う人もいるかもしれませんが,そんなことはまったくありません。凍死や餓死の恐怖はもちろんですが,一番怖いのは先が見えないということなんです。期間限定でホームレスの生活を一カ月間だけ体験するというのであれば,それほどの苦痛を感じることもないかもしれません。しかし,こちらには終わりがない。この状態が一体いつまでつづくのかと考えるだけで恐怖に身がすくむ毎日でした。そんなときに考えることはもちろん妻子のことと,「いったい自分は何のためにこの世に生まれてきたのか?」ということなんです。「自分はこれまでに二十冊もの単行本を出してきたけれど,自分の心の奥底と正面から向き合って書いたものがあっただろうか」と。そう考えると,自分をすべて洗いざらいさらけだしたものを書いてから死にたいと思うようになったんです。百円ショップで買った原稿用紙の最初のマス目にペンネームではなく,本名の「松井計」と書き込み,遺書を書くつもりで書き始めたのが,この「ホームレス作家」だったんです。
 この本が日の目を見たことで,ホームレス生活からは何とか抜け出すことはできましたが,さまざまな事情があって,家族とはまだ一緒に暮らせないでいます。だからハウスレスではなくなりましたけれど,いまだホームレスなのです。私にとって書くことと,生きることは同義なんです。一日でも早く家族との生活が取り戻せるよう,これからも頑張っていきたいと思います。
(構成・写真/寺内英一)
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