元・一ノ矢 いちのや(本名 松田哲博)
1960年鹿児島県徳之島生まれ。琉球大学理学部物理学科を卒業後、史上初の国立大学出身力士として昭和58年九州場所で初土俵。以来46歳11カ月で引退するまで、24年間の土俵人生をまっとうする。序二段優勝2回。現在は、高砂部屋マネージャーとして部屋の運営を支えつつ、シコトレの普及や相撲の物理的探求を続けている。日本相撲協会相撲指導員。著書に『お相撲さんの“腰割り”トレーニングに隠されたすごい秘密』『お相撲さんの“テッポウ”トレーニングでみるみる健康になる』(ともに実業之日本社)、『シコふんじゃおう』『もっとシコふんじゃおう』(ともにベースボールマガジン社)、『シコトレで股関節からカラダが整う!』(青春出版社)がある。

内田 樹 うちだ・たつる
1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第6回小林秀雄賞、『日本辺境論』(新潮新書)で2010年新書大賞を受賞。著書に『「おじさん」的志向』(角川文庫)、『下流志向』(講談社文庫)、『街場の文体論』(ミシマ社)ほか。2011年神戸女学院大学を退官、神戸市で武術と哲学のための学塾「凱風館」を開く。

安田 登 やすだ・のぼる
1959年生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師であり、日本で数少ない米国Rolf Institute公認ロルファーの一人。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳のときに入門。さまざまな形での能のワークショップも行なう。東京・広尾の東江寺で学びの場である寺子屋も開いている。著書に『疲れない体をつくる「和」の身体作法』(祥伝社黄金文庫)、『能に学ぶ身体技法』(ベースボール・マガジン社)、『異界を旅する能』(ちくま文庫)、『身体感覚で「芭蕉」を読みなおす。』(春秋社)『からだで作る〈芸〉の思想』(前田英樹氏との対談 大修館書店)ほか。

           左より内田樹氏、元・一ノ矢氏、安田登氏(撮影/ 池本 昇)

『股関節を動かして一生元気な体をつくる』刊行記念鼎談 内田樹(合気道)×元・一ノ矢(相撲)×安田登(能楽)――伝統文化の身体を語る

2013.07.18

強くなりたい一心でたどりついた「シコトレ」

内田: このたび元・一ノ矢さんが『股関節を動かして一生元気な体をつくる』を出版されたことを記念して、われわれ三人で鼎談をすることになりました。オーディエンスがいた方が話が弾むので、ここ凱風館の門人にも集まってもらいました。私がこの家の主ですので、立場上、きょうは司会を務めさせていただきます。
そもそも私がおふたりに初めて会ったのは、雑誌『考える人』(新潮社)で、「日本の身体」という、私が会いたい人と対談するシリーズでした。第一回のゲストが安田さん。その後、一ノ矢さんにもご登場いただきました。安田さんと一ノ矢さんはどういったご縁だったんですか?

一ノ矢: もともと、安田先生が新宿の朝日カルチャーセンターでロルフィングの講座を持っておられて、私が受講したのがはじめです。それが縁で、実際に安田先生に十数回、ロルフィングの施術を受けまして。

内田: まだ現役のお相撲さんだったころですか?

一ノ矢: そうです。私は46歳11カ月で引退したのですが、現役時代の最後の5年間は、ずっと見ていただいていました。

内田: そうだったんですか。史上最年長力士を支えたのは安田さんということですね。一ノ矢さん、今回の本を出すきっかけを教えてください。

一ノ矢: 私は、奄美の徳之島の出身で、沖縄の琉球大学を卒業しました。とにかく相撲が好きで好きでたまらなかったのですが、身長が足りなくて。新弟子検査のときには、頭頂部にシリコンを注射しまして、なんとかごまかして入門しました(笑)。体が小さかったので、とにかく強くなりたい一心で筋トレをはじめとする様々なトレーニングに取り組みました。試行錯誤しつつやっていたら、24年経っていた……というところです。20代、30代の頃は怪我と闘い、怪我と付き合う毎日でした。そのなかで、最後にたどりついたのが、四股、腰割り、テッポウでした。トレーニングの重心を、四股、テッポウにおくことによって怪我も減りました。江戸時代からずっと続いているトレーニングこそが、いちばん合理的なのです。四股や腰割り、テッポウは、健康づくりにもいいので、「シコトレ」と呼んで、一般の方々にもおすすめしています。

内田: 共著者のマツダキョウコさんは、奥様なんですよね?

一ノ矢: 今回は、女性の目線も入れようということで、妻との共著になりました。美容にも効果がある動きを紹介しています。妻はふつうの会社員でしたから、私との生活は非常にカルチャーショックだったようでして、そんな異文化交流のエピソードも交えた作りになっています。

「対戦するだけでしあわせ」――双葉山の身体技法

内田: 相撲、能楽、合気道には、それぞれ固有の身体技法とか、ある種の思想があります。きょうは、一ノ矢さんの相撲を中心に、それぞれの立場から話ができたらと思っています。

一ノ矢: みなさん、お手元の写真、誰かわかりますか?

門人 双葉山ですね?


双葉山定次 (1912~1968)

一ノ矢: そう、双葉山、相撲の神様です。

安田: 観音様のような顔をしていますね。

一ノ矢: そうですね。控えに座っているときから、立会いの瞬間、取り組みの最中、そして終わったときも、観音様のような顔をしていました。昭和11年から14年まで足かけ4年間負け知らずで69連勝という記録を出した大横綱。記録だけではなく、身体の使い方がほんとうに素晴らしかった人です。双葉山さんは、腕力はそれほど強くなかったそうです。だけど、相撲をとると、ごみでも放り投げるようにぽーんと相手を投げる。現代の相撲のセオリーでは、深い上手をとるのは、下手な証拠といわれています。相手のまわしは、近いほうがぐっと引きつける力が効きますから。けれども、双葉山はけっこう上手が深いのです。いろいろな映像を子細に見ていくと、上手をとっても引きつけないのです。引きつけないで、肩甲骨で押さえてしまう。

内田: へぇ、肩甲骨を?

一ノ矢: そうです。ふつう、深い上手をとれば、相手にぐっと中に入られますから身体の自由が利かなくて不利になるんですけれど、双葉山は、肩甲骨で相手を押さえて、ごろんと投げてしまう(と、実演)。スパナは短いより長いほうが、ぐっと回転力がききますよね。それとまったく同じことをやっているんじゃないか、と思っています。腕の力を使って相手を投げるのではなく、自分の身体をスパナとして使いますから、上手が深いほど相手は浮き上がる。あくまで私の想像ですが。大学で物理学を専攻していたので、物理学的に考えると、とても納得がいく。

安田: いま、一ノ矢さんがされた動き、無意識にしていたと思うのですが、おもしろいですね。背中を中心にして、肩甲骨から大腰筋、菱形筋とつながるひとつの流れ――マッスルチェーンが出来ている。

内田: マッスルチェーンと言うんですか。僕が、このところ合気道の稽古で言っているのもそのことだと思います。合気道は、相手の筋肉の流れに瞬時に同期すると「活殺自在」というか、自分の身体の延長線上に相手がある。だから、同体で倒れるという感じになって、「投げる」という感覚ではなくなる。

安田: だから、相手は気持ちいいわけですね。

一ノ矢: 「双葉山に当たると、幸せだ」と言うそうです。なんとか今回は勝ちたいと作戦を練って臨むけれど、何回か仕切っているうちに「ただこの人にぶつかれるだけでいい、それだけで幸せだ」という境地に至る。それで、いざ当たっても、いつのまにかごろんと投げられている。

内田: 僕の師匠の多田宏先生も若いころ、合気道の開祖である植芝盛平先生の受けをとるときは、そんな感じがしたそうです。大先生の中にふっと吸い込まれていって、相手の身体に同期して一緒になってしまう。何が起きたのかはわからないけれど、大先生が感じていることはわかる。とても気持ちがよかったそうです。もう半世紀以上も前のことなのに、多田先生はそのときの体感を今でもありありと記憶されているそうです。そのときの体感を原点にして今も稽古をされているとおっしゃっていました。

一ノ矢: 当時、出羽海部屋の大関に、五ツ嶋という人がいました。あるとき双葉山とがっぷり四つに組んでいると、突如として土俵から双葉山が消えた、と感じたことがあったそうです。次の瞬間には、自分がごろんと転がされていた。そういう話もけっこう残っています。

内田: 本来の相撲というのは、そのような身体の使い方を目指していたのだと思うのですが。

一ノ矢: そうですね。雷電や谷風も、おなじようにレベルの高い身体技法を身につけていたと思われます。

内田: ふたりとも力士としての現役時代は長かったんですよね。

一ノ矢: 長いです。谷風が、現役バリバリの横綱のときに、44歳でインフルエンザで亡くなっています。雷電も、同様の年齢まで現役でした。

内田: 当時の寿命を考えるとすごいですよね。

安田: いまでいうと、70歳くらいまで現役という感覚でしょうか。

相撲と韓国映画の意外な共通点

内田: 現在、双葉山のような相撲をとる力士はいますか?

一ノ矢: なかなかいなくなりましたね。徐々に、スポーツ的になってきました。

内田: なんで変わってしまったんでしょうね。せっかくある素晴らしい技術を、みんなで研究して、継承していく方が合理的だと思うのですが。柔道もそうですけれど、どんどんスピードと力比べのスポーツへと変質してしまっていますね。

安田: このあいだ、一ノ矢さんと、もし相撲がオリンピック競技に採用されたらどうなるか、という話になりました。

一ノ矢: 今、アマチュア相撲では、120カ国くらいが参加する世界選手権が毎年行われています。日本の大相撲の立合いとは、違うんですよ。大相撲では、力士がお互いに目を見て立ち合って、呼吸が合ったら、行司さんが「はっけよい」。行司さんは「呼吸が合いましたよ」という事後承認をしているだけです。ところが、その呼吸は外国人にはわからないのです。それでは、スポーツとしてはフェアではないということで、世界選手権では、「はっけよい」と審判が言ってから、立ち合うことになっています。その前に立ったらフライングです。

内田: それは、もう相撲とは言い難いですね。あの、話が飛びますけど、このあいだ、クォン・サンウが主演した「マルチュク青春通り」という韓国映画を見ていたんです。韓国のツッパリ高校生同士が、学校の内外で出会い頭に「何だと、コラ」「やるのか、オラ」と凄み合うシーンが何度も出てくるんですけれど、この「立ち合い」の間が日本のヤンキーとまったく一緒なんですよ。にらみ合いながらだんだん近づいていって、さあ、手が出るのか、それとも憎まれ口をきくだけで左右に別れるのか。このやるのかやらないのかの切り替えのサスペンスって、欧米のアクション映画ではまず見られないものですよね。アメリカ映画だと、一度にらみ合いが始まると、ふつうもう後戻りしないで殴り合い撃ち合いが始まってしまう。ぎりぎりまで緊張感を高めておいて、ふっと「仕切り直し」をするというようなことってしませんよね。

安田: 相撲がオリンピック競技になったら、そうなっちゃうのかもしれません(笑)

一ノ矢: やはり、アジアの人は、比較的わかると思います。

内田: 体型がどう、文化がどう、というよりも、気力を込めて相手に迫ったときに、両者の間の空気の密度がどんどん濃くなっていって、もうこれが限界というときにぱっとスイッチが入る。そのタイミングがアジア文化圏では似ているのかもしれません。


後半のワークショップタイムで、相撲の身体技法を体感してみる凱風館の門人おふたり。
傍目にはほとんど動きがないが、額にはじわっと汗が。

能楽、相撲、合気道に共通する「間」

安田: 内田さんは、合気道だけでなく能楽もよくされています。このあいだ「土蜘蛛」を演じられましたでしょう。シテが塚のなかで謡う場面がありますね。

内田: ええ。

安田: 謡っていくと、途中から太鼓の調子が次第に上がってきて、ホォ~、テンテン……となりますでしょう。能楽を西洋現代音楽として演じるという試みがあるのですが、この間合いは何小節だと決まっているんですよ。本来は、謡いの呼吸に合わせて太鼓も上がっていく。けれど、西洋人にとっては間合いが理解できないので、指揮者がタクトを振って「ツクツク、ヨォ~、ハッ、ハッ、一小節」とやっている。

内田: それでは「道成寺」の乱拍子は無理でしょう。

安田: 鼓(つづみ)は、声を出す前に「コミ」というものがあります。お腹に息をためて、フンッ、イヨ~、ポンッと鳴るんですね。この「フンッ」の部分が、乱拍子は数十秒続く。ポンッと鳴った瞬間に、舞っている人は足を出さなくてはならない。鳴ってからでは遅い。ですから、鼓の人と、舞っている人の呼吸が一致したときに、初めてポンッとなる。それが数十秒なので、数えちゃだめなんですね。実際の乱拍子は、15分から20分もかかる。1歩あるくのに2分くらいかかる。15分経ってもほとんど同じところにいるので、観客はそのあいだ買い物して帰ってきても変化に気がつかなかったりして(笑)。完全に呼吸の世界です。

内田: そうですね。若手能楽師は、「道成寺」の乱拍子が出来たら一人前、といわれているようです。これは、シテと囃子方の呼吸を同期させる能力を点検するという意味合いもあるのではないかと思います。

安田: その通りですね。

内田: 合気道の技も同じなんですけれど、「相手にこう持たれたら、こう返す」という説明をしてはいけないんです。「こう持たれたら、こうする」というのはどれほど速く反応しても「後手に回る」ということですから、それではまずいんです。こちらが気力を持って相手に迫る。相手がやむなく事態を打開しようとして、打ったり、突いたり、つかんだりする。それに乗せて同期的に身体を使っていくわけです。合気道におけるファーストコンタクトまでの緊張と、能楽の「コミ」と、相撲の立ち合いというのは、基本的には同じ質のものだという気がしますね。

安田: 世阿弥が、「一調二機三声」ということを言っています。2番目の「機」は「気」ともいわれていて、3番目にやっと「声」が出るんですよ。能でシテとワキが掛け合いをするとき、お互い相手につられてはいけないわけです。まず「調」がある。調子が決まったからといってすぐ声は出さず、「機」を感じて、ようやく声が出る。

内田: なるほど。

安田: 稽古をつけていると、「いくつ数えたらいいですか」と訊かれることがありますが、「10年くらいは何も考えずに稽古してください」と答えています。「謡10年、舞3年」といわれて、10年経つとようやく入門の域に達するといわれていますから。

内田: 武道でも「機」を非常に重んじますが、能楽においては、いちばん演劇的興奮がもたらされるところは、結局のところ「合う瞬間」ということになりますね。

安田: その通りです。

目と目が合う感覚を磨く「申し合い稽古」

一ノ矢: 相撲の場合は「機」という言葉は使いませんが、新弟子の立ち合い稽古をするときは「相手の目を見て、呼吸を合わせろ」ということは言います。マイペースでもいけないし、相手を待ってもいけない。

安田: 待つと、絶対負けてしまいます。

一ノ矢: 相撲の稽古で「申し合い稽古」というものがあります。何十人も、ひとつの土俵を囲む。勝負に勝った方が、次の相手を指名できる。勝ち続ければ何十番と稽古ができますが、実際そうそう勝ち続けることはできません。自分を指名してもらうためには、勝負がついた瞬間に、土俵のどちらにいればいいか察知しなくちゃならない。だから、勝負が決まりそうになると、土俵のまわりをあちこち動くわけです。

「申し合い稽古」とは?
申し合い稽古とは、相撲部屋で一般的に行われている稽古のひとつ。これは、2012年4月に東京・両国国技館で開催された『高砂一門感謝の集い』での申し合い稽古の様子。


1) 勝負が決まった瞬間に飛び出せるように、
片足を土俵にかけて勝負の行方を見守る力士たち


2) 勝負が決まり、次の対戦相手に自分を指名
してもらうため、勝った力士の元へ駆け寄る


3) 相手が決まって土俵下へ戻る。
このときに次の勝負を予想した位置取りが大切になる

安田: みんな、動くわけですか。それは「機」をとらえる力を養えますね。

一ノ矢: それが、自分の調子がいいときは、うまく目が合ってどんどん相手に指名してもらえるんですけれど、調子の悪いときは逆に逆に行ってしまって、2時間やっても1番も買ってもらえない(指名してもらえない)ときもあるんですよ。

内田: それはおもしろいな。合気道の場合は、稽古ではふたりひと組で組んでもらうことがよくあるんです。僕が「ではふたりひと組で」と言うと、すぐに組む相手を探さなくてはならないんだけれど、あぶれる人はいつもあぶれるんです。技の巧拙とは関係なく。ほんの1、2秒のあいだに次の相手を探すんですけれど、この決断がすぱっとできる人とおろおろする人がいますね。

一ノ矢: 「申し合い稽古」はとてもうまくできていると思うのですが、スポーツ科学者からいわせると、非常に不合理だという。もっと土俵を多くして、公平に番数をやらせた方がいいと。プロの稽古は人数が多くても土俵はひとつです。そのなかで「機」をとらえて自分をアピールし、次の勝負を予想して動くことを通して、強くなっていくのだと思います。

安田: さきほどのオリンピックの話もそうですが、現代だとすぐに「それは不公平だ」という声が出ますよね。

内田: 稽古そのものよりも、目と目が合う感覚のほうがずっと重要な能力だということがわかっていないですね。

安田: 相撲のオリンピック化は反対したほうがいいかもしれません。

宗教儀礼としての相撲

内田: 大相撲って、本来はスポーツとか格闘技というより、やはり宗教儀礼という機能が大きいでしょう。

一ノ矢: 実際に、大相撲では毎場所、神様を招いて、神様を送るという儀式をしています。初日の前日に、行司さんが神主となり三役以上のお相撲さんも勢ぞろいして、神様をお招きし土俵を守ってもらう儀式をします。「土俵祭り」と呼んでいます。2週間の場所が終わると、今度は「神送り」の儀式をする。千秋楽、表彰式が終わったあとに、その場所の新弟子さんがまわしを締めて土俵に上がって、行司さんを胴上げするんです。わっしょい、わっしょい、と。胴上げして神様に帰ってもらうんですね。私が入ったころは、審判の親方を胴上げしていたんですよ。だけど、新弟子はまだ力が弱いから、大きな親方を落としてしまったことがあって。


普段は合気道の稽古が行なわれる道場で、「ヨイショ!」。
シコで足を上げるときは、力まずインナーマッスルを意識することが大切、と一ノ矢氏。

内田: 行司さんなら軽そうです。

一ノ矢: ええ。行司さんが神様を呼んだんだから、行司さんに送ってもらうのが本来の筋ですし。

安田: 土俵祭りのときは、祝詞をあげるんですよね。

一ノ矢: そうですね。「天地開け始めてより陰陽にわかれ~」と、相撲の故実をうたった祝詞を奏上します。

安田: 天之御中主神と、高御産巣日神と、神産巣日神を。

一ノ矢: そうです。相撲で勝った力士が、勝負がついたあと蹲踞(そんきょ)して勝ち名乗りを受けますね。手で何かを切るような動作をしますが、これは、3人の神様への勝利のお礼なんですよ。

内田: なるほど。

一ノ矢: 興味を持っていただけたら、是非、本場所に足を運んでみていただけたらと思います。国技館はとてもきれいですし、地方場所は、客席と花道の距離が近いですから、それぞれに良さがあります。

内田: そうですね、見に行く前に、一ノ矢さんに相撲の見方、勘所を教えていただくとさらにおもしろくなりそうです。

安田: 座布団を投げる「機」も教えていただいて(笑)。

内田: それでは、きょうはお開きということで。どうもありがとうございました。

2013年6月14日 神戸・凱風館にて

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