窪 美澄 with 宮下奈都 with 椰月美智子 Special Talk 「子ども、仕事、 わたしと小説」(第三回)
2012.09.06
書きながら着地点をさぐる
――さきほど椰月さんに、新連載の創作のきっかけや、プロットの作り方を伺いましたが、宮下さんの場合は、どんなふうになさってるんですか。
宮下: 私は、突然浮かぶんです。だから浮かばないときは、せっかく編集者が福井に会いに来てくださっても、あまり実のある話ができないことも多くて。
椰月: たとえば編集者と話すと、こういう感じの話はどうですか、って出てくるでしょう。家族系でとか、恋愛系でとか。そういうのも?
宮下: 基本的に、系統も突然浮かぶんです。こういうものを書きたい、っていうのが自分の中から生まれて、それを詰めていく過程で物語が見えてくるんだけど、その時点では核心はつかめてないんです。何を書きたいかがうまくつかめてないと、すごい無駄打ちする。それでもとにかく、いっぱい書くうちにやっと「あー、ゴールはここだったんだ」って分かって。そしたら、戻って前を削ったり、新たに肉付けしたりするんです。だから実際に書いた分量と、形になったときの枚数はずいぶん違う。読み切り短編の場合はとくに多いですね。
逆に連載だと、それを結構楽しんでるところもあります。書いていたらいつか必ず光が見えるだろう。着地点がきっと分かるだろう。そんな希望を持って書きはじめるので。そこへの道のりは長いんだけれども。
椰月: 話を思い付くときって、どういう感じなんですか?
宮下: 具体的に風景や場面が浮かぶんじゃなくて、「あ、この話、すごく面白い」と思える「何か」が、頭の中にあるような気がするの。だけど、さっき窪さんがおっしゃったような「読者を面白がらせる要素」とかね、そういうのは入れる余裕がないの。
――その思い描かれるものは、文字で頭の中に満ちているものなんですか。
宮下: ああ、文字じゃないですね。話として、自分の「記憶みたいなもの」として在るんじゃないかな。映像とかじゃなく、でも決して文字や文章として出てくるわけではなくて。ほら、自分の体験とかって、すでに心や身体に入ってますよね、あんなふうな存在の仕方ですね。
――だから、口に出して説明しようとすると、もどかしいのですね。
宮下: どこから話せばいいのか、迷ってしまいますね。ですから、いわゆる「プロットを作って、編集者に出す」っていうのが、私はなかなかできないんです。
――窪さんはいかがでしょうか。
窪: まず、自分が書きたいものありきで、編集者にプレゼンテーションするときに、大ざっぱなプロットを立てます。でも、たいていその通りにはいかなくて、勝手に物語が進んじゃうことがやっぱりあります。ほら、庭に置いてあるホースから水が勢い余ってバアーって出るときあるじゃないですか。あんなふうに、話が暴走するんです。そこへ着地するんですか、ってびっくりされますね。あと、短編の場合は、官能で、女子校ものでって、具体的にオーダーが来るので、そこに合わせるプロットになります。
でも私、まだ本を一冊しか出してないので、この先何冊も書いていくと、編集者とやりとりしながらプロットを作ることも多分あるでしょうし、そういうことをやってみたい気持ちはありますね。自分にそのやり方が合ってるのか、合ってないのかも、まだ分からないから。
宮下: 私、この間はじめて、それをやりました。編集者と話し合ってプロットを先に決めて。最初は「これ楽だわ、行くところが分かってるから」と思ったし、安心して書き進められるのが新鮮な気分だったんだけど、実は、書く楽しみや充足感が少なかったことに気づきました。編集者はよろこんでくれたけど、私の中では「この書き方はちょっと違うかな……」って感じましたね。やはり私は、一人で書きたくて作家をやってる気がします。小説ができてから見てほしいんだ、って分かりました。
――窪さんの場合、書きたいものは、どんなふうにして思い浮かぶんですか。
窪: 書きたい「この気持ち」「感情の種」みたいなのが、まず常にあります。なにか悲しい出来事があったときでも、みんなが一様に悲しがるわけじゃなかったりしますよね。結構冷静に笑ってる人がいたり、人の感情は公式通りにはいかない。一般で思われているのとはちょっと違う、私の中ではそうじゃないんだっていう、もやもやした、言い表しにくい感情を、原稿用紙三〇〇~四〇〇枚ぐらいかけて、言葉を一文字、一文字費やして説明したい、っていうことだと思うんです。
椰月: 作家が言いたいこと、作家の思いが書いてある小説って、すぐ分かりますよね。私はそういう小説が好きですし、自分もそういうふうに書いていきたい。仮にその思いや考えが、他人には違うと思われようと、自分はこうだと思っていることを、どうしても入れたいんですよね。
窪: だから、そういう小説の着地点に、すんなり辿り着けるわけはないんですよね。「悲しいことがあったね、悲しいね」じゃなくて、「悲しいことがあって、そして私はこう思うんだ」という着地点。それは、ちょっと手前とか、もうちょっと先とか、その差はものすごく小さいでしょうけど、それこそが作家ごとの作品の違い、持ち味になっていると思うし。一番いい着地点を見つけていくのは、本当に難しいですよ。
――その、言い表しにくい感情を、ご自身の中で納得がいくような言葉として書き切れたときには、達成感がありますか。
窪: 書き切れたって思ったことは一度もないのですが……理詰めで、AだからBだからCだから、その結果Dっていう気持ちになりました。ってことでもないじゃないですか。その間に全然関係ない風景が入ることによって、説得度が増すこともありますしね。頂上に向かう山登りのルートは作家によってそれぞれ違うから。出来上がった道を進めばいいんじゃなくて、むしろ獣道をかきわけて行かなくちゃいけない。時々は違う風景を見せながら。それはとても大変なんだけど、面白いところでもあります。
書きたいことを書き切る幸せ
椰月: 私、去年『恋愛小説』っていう本を書いたんですけど、書いてる最中むちゃくちゃ楽しかったんです。もう面白くて面白くて、空すら飛べそうな勢いでした。この先、もうそういう執筆体験がなくても、あれがあったからいいって思うくらいに、思い入れが深いですね。
宮下: 書くこと自体が、楽しかったんですか。
椰月: そうなんです。多分、私が書きたいこと全部を書けたんですね。これまで感じた恋愛についてのいろんなこと、すべてを物語に投入できて。だから楽しかったんです。
窪: 味わってみたいなあ。
椰月: ほんとにそのときだけ。書き下ろしで執筆に半年ぐらいかかったんですけど、その間はとても幸せでした。書き終えたらこの楽しみがなくなると思って、途中で自分でブレーキを掛けながら書いたりして。
窪: ライターズハイですね。いま、読み返しても、書いているときの幸せ感がよみがえってきますか。
椰月: うん、そうですね。
宮下: すごーい、それは幸せですよねえ。
――それを書くとき、最初に浮かんだのはどんなイメージでしたか。
椰月: 恋をしていた頃の、空の色や山の稜線、水平線や朝焼けや夕焼け。駐車場に生えてるペンペン草とか、道路に落ちてる小石とか。文章中に具体的にそういう言葉が出てこなくても、それらをとりまく恋情を描けたかなあと思っています。
窪: 『恋愛小説』は私も大好きですし、椰月さんの本の中でいちばん好き、っていう方も多いでしょう。読者にも、書き切ってる感、書き手の熱い思いが伝わっているんでしょうね……いいなあ。
椰月: もう一回ぐらい、そういう体験をしてみたいですけどねえ。
宮下: 絶対、またあるって(笑)。
――椰月さんはお子さんが大きくなったら、自分の小説を読んでほしいと思いますか。
椰月: うーん、別にどっちでもいいですね。読みたいんだったら読んで、って感じかな。
――たとえば、ご自分の恋愛面が書かれた本を「読まれたくはない」という感じではなくて。
椰月: ではないです、うん、うん。
窪: 私も、いま椰月さんがおっしゃった通りで、別に読みたいならどうぞって、禁止もしてないですね。そりゃあ積極的に、夕飯時の話題などにはしないですけど、私がエロい小説書いてることは、息子も重々承知で、そのお金で自分が大学に行くということも分かっているので。それは母親の仕事、と割り切ってるのだと思いますね。
宮下: 私は、いまはまだ読むな、ですね。読まれるのがイヤなんじゃなくて、いま読んでも理解できないだろうから、もう少し大きくなって、分かるようになったら読んで、っていう意味です。たとえば『よろこびの歌』を「娘が読んで、すごく面白かったって言ってた」とか、小五の息子の同級生のお母さんが言ってくださると、ありがたいと思う反面、「まだ分かんないでしょう」って、悔しい気持ちになるんです。……まあでも、厚かましいこと言ってますよね、私。
椰月: その娘さん、もっとちゃんと理解できる時期になったら、きっとまた再読しますよ。
宮下: さきほど窪さんがおっしゃった「言い表せない気持ちを書きたくて、小説を書く」っていうの、ああたしかにそうだわ、って、ものすごく共感できます。小説って、さくさく書けるものじゃないですよね。
窪: ええ、全然書けないですね。
宮下: 迷いとか葛藤、よろこびとか悲しみとか、いろんな気持ちの機微をひとつひとつ書いていくわけで、ストーリーを書きたいのとは、違うじゃないですか。
椰月: ストーリーがメインというわけじゃないんですよね。
宮下: 私、とても筆が遅いし、ストーリーを書くのも得意じゃないんだけど、今日おふたりと話をしていて、そうか、そういうことかって、納得できました。
椰月: ずっと言いたくて心に溜まっていたのに、そばにいて聞いてくれる人もいないし、誰に言ってもきっと分かってくれない、って思っていたこと――私が作家になってよかったと思うのは、そんな気持ちを、小説で書いて昇華できるようになったことです。それがストレス解消にもなっていると思います。
窪: 書くのは楽じゃないから、別のストレスが出てくるかもしれないけれど。
宮下: それでも、小説をずっと、書き続けていきたいです。
(2011年10月11日、東京・銀座にて)
※本特集は『紡Vol.4』の掲載記事を転載したものです。