藤沢久美(フジサワ・クミ)
国内外の投資運用会社勤務を経て、1996年に日本初の投資信託評価会社を起業。99年同社を世界的格付け会社に売却後、2000年にシンクタンク・ソフィアバンクの設立に参画。2013年、代表に就任。03年社会起業家フォーラム設立、副代表。07年ダボス会議を主宰する世界経済フォーラムより「ヤング・グローバル・リーダー」に選出。法政大学大学院客員教授、情報通信審議会委員など公職も多数兼務。NHK教育テレビ「21世紀ビジネス塾」のキャスターを3年間務め、その間、全国の中小企業やベンチャー企業の取材を行なう。同時にテレビ・ラジオ・雑誌などを通じて、これまでに1000社を超える全国各地の元気な企業の経営者のインタビューと現場の取材を行ない、各種メディアや講演を通じて発信している。主な著書に『なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか』(ダイヤモンド社)、『子どもに聞かせる「お金」の話』(PHP研究所)など。

『なぜ、川崎モデルは成功したのか?』著者・藤沢久美さんインタビュー

2014.08.06

朝日新聞の書評(2014年5月18日付)や東京新聞の記事(川崎版 6月23日付)、さらには雑誌「WEDGE」8月号などでも取り上げられ、大きな反響を呼んでいる書籍「なぜ、川崎モデルは成功したのか」。本書は川崎市の中小企業支援を独自の方法で開拓していく川崎市役所職員の姿を描いたノンフィクションビジネス本だが、今回はその著者である藤沢久美さんに、本書を出版後の反響から今後の中小企業支援の在り方までうかがった。

――Q1 4月に出版後、「川崎モデル」が新聞や雑誌などで多く取り上げられ、また編集部にも読者の便りが多く寄せられていますが、藤沢さんの周囲でも変化はありましたか?

藤沢 金融機関、自治体、企業支援事業者さんなどからの「川崎市役所の方を紹介してください」という問い合わせや、「我が地域の取組みも見に来てください」という自治体の方や各地の中小企業の方々などからのお誘いなどをたくさんいただき、驚いています。また、川崎市役所にも、全国各地から本を読んだという自治体関係者から視察依頼がきているとのことで、とてもうれしく思っています。

拙著をきっかけに、全国各地の方々と川崎市の企業さんがつながり、また新たな動きが生まれ始めており、まさにオープンイノベーションの幅が広がっていることにワクワクしています。

――Q2 では、詳しくは本に書かれていますが、簡単に「川崎モデル」とはなにかを教えてください。

藤沢 「川崎モデル」という言葉は、いろいろな意味合いで使われているのですが、拙著では、足しげく現場を訪問し、中小企業の伴走者としての視点を持ち、中小企業と大企業、大学、金融機関などとの連携機会を作る川崎市の取組みの意味で使っています。

拙著では、川崎市は、中小企業に対するお金以外の資本を主に提供するベンチャーキャピタリストです。川崎市が、提供するお金以外の5つの資本を、知識資本・関係資本・信頼資本・評判資本・文化資本として整理しました。

――Q3 藤沢さんは以前、「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」(ダイヤモンド社)という著書を出版されていますが、まさに役所がその御用聞きビジネスをしていたということですか?

藤沢 そうですね。「御用聞きビジネス」というのは、かつての「御用聞き」ではなく、お客様と接点を持ち、お客様のあらゆるお困りごとの窓口をする立場であり、複数の事業の窓口でもあるので、御用聞きに「ビジネス」がついているのです。その意味で、川崎市の場合、市役所が、中小企業や大企業の事業の窓口になり、立場の異なるさまざまな人々と繋げる役割を担っているので、まさに、「御用聞きビジネス」を展開されていると言えると思います。

――Q4 中小企業支援をフィールドワークとし、これまで多くの経営者のインタビューを行なっている藤沢さんですが、川崎市の取り組みについて他地域にはないものとはどんな点があげられますか。

藤沢 市役所の職員さんが、とにかく中業企業経営者の元に足しげく通っていらっしゃるということでしょうか。市職員と経営者が、まるで一つの釜の飯を共にした同志のような関係が生まれています。しかも、市職員や支援財団の方々が、使命感を持ち、ワクワクされている。そして、それが周りに伝播していっています。

これを「癒着」ではなく「密着」と、拙著では呼ばせていただきました。

――Q5 藤沢さん自身、産業構造審議会地域経済産業分科会委員など国の諮問機関で活躍されていますが、国や官公庁も「川崎モデル」には注目しているのですか? またそれはどんな点についてですか?

藤沢 すでに何年も前から、川崎市には、経済産業省の方々が視察にいらしていますし、金融庁からは、川崎産業振興財団に出向者も送っているほどです。中小企業支援のあり方のみならず、地域金融機関のあり方についても、川崎市には、ヒントがあるということです。

さらに、知財移転の最新事例としても、特許庁等の方々が、川崎市の取組みを「川崎モデル」と呼んで、施策の参考にされています。

――Q6 本の中には大企業が所有する特許を中小企業に開放するオープンイノベーションについても描かれていますが、それについて川崎市が特筆すべきところはどんなところですか?

藤沢 大企業の特許を中小企業に開放するというアイデアは、全国各地で言われていますが、実際にそれが効果的に行なわれた事例は、ごくわずかです。理由は、知財を具体的な中小企業の製品開発に繋げることの難しさ、それを販売する販路開拓の難しさ、そして資金面での難しさの三つがあるからです。しかし、それを川崎市は乗り越えて、着実に事例を積み上げています。そのことそのものが、まず特筆すべき事実です。

――Q7 中国や東南アジアの台頭により、日本の製造業は厳しい状況に置かれていますが、ものづくり大国としてこの「川崎モデル」がヒントになると思います。今後の在り方について教えてください。

藤沢 日本の製造業は、世界有数の技術力を持っています。ところが、大企業の海外移転や系列関係の崩壊などによって、その技術を何のために使うかが見えなくなってしまったのです。中小企業の方々が、これまで取引のなかった大企業や大学、そして海外などと連携することによって、今までとは異なる技術の生きる製品開発に携わることが十分できます。技術を積極的に発信し、未知の世界と接点を持つことが、世界に貢献できる日本のモノづくりの本領が発揮できる第一歩だと思います。

――Q8 最後に読者に一言お願いします。

藤沢 20世紀後半の情報通信革命以降、世界は混沌としています。一体何が正解かわからない時代になりました。だからこそ、常にスピーディーに、自分たちの持っているものを世の中に提供し、その意義を問うことが重要です。川崎モデルもその一つです。

しかし新たなアイデアは、一人で考えていても限界があります。異なる分野の方々と知恵をシェアし、世の中に発信していくことで、次なる展開が見えてきます。

拙著を通じて、一人でも多くの中小企業に関わる方々が、独自のモデルを生み出し、すべての働く人々が、仕事に喜びと意義を感じる社会になってほしいと願っています。

――ありがとうございました。