暗闇のリラ
谷村志穂著(タニムラ シホ)
A6判 296ページ
2014年02月05日発売
価格 660円(税込)
ISBN 978-4-408-55158-6
在庫あり
「あの子をさらっちまうか。それでさ、二人で誘拐犯になんのな」
「花って、お前、どの花のこと訊いてんの?」
母さんは、ずいぶん冷たい口調でぼくを見下ろした。
さっきまで泣いていたのか、目の周りが、剥がれた化粧で真っ黒だった。
本当は母さんの手を引いて、花の前に急いで連れていきたかったのに、
ぼくはぶっきらぼうに答えてしまった。
「あっちに咲いてる花。よくあるのかもしれないけど。こっからでも、見えるでしょ?」
母さんは、しばらく黙ってから、口元を斜めに歪ませてふふっと笑った。
うれしそうという笑い方ではなくて、目にはまた涙が浮かんでいたようにも見えた。
母さんがそのとき何を考えていたのかはわからないし、もう確かめようもない。
「あれなら、リラっていうんだよ。夏になる前の、こんな寒い時期に咲くのさ」
まさかその日が母さんとの別れになるとは思ってもいなかった。(本文より)
家族の愛を享けられず、自堕落な日々に溺れ、互いの存在だけを頼りに育った幼馴染み、21歳の香田はるかと20歳の坂本光代。リラ冷えの季節、ふくらんだ借金返済のため二人は、7歳の少女をさらって身代金800万円を要求する誘拐劇を実行に移す……。女性の等身大の愛と性を描いて支持を集める名手が故郷・北海道を舞台に、二十歳の孤独が闇の底で重ねた稚拙な罪、そして赤裸々な性に迫った渾身の長編。
(単行本時のタイトル『リラを揺らす風』を文庫化に際して改題)