徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか
康熙奉編(カン ヒボン)
四六判変型 208ページ
2014年01月10日発売
価格 1,100円(税込)
ISBN 978-4-408-11051-6
在庫なし
江戸時代の対朝鮮交流史に学ぶ!
文禄・慶長の役から大転換をはかった徳川家康の意図はどこにあったのか。
戦国時代を駆け抜けた織田信長の死後、天下統一を果たした豊臣秀吉によって、日本の外交は一変する。明国征服の野望のために二度にわたって朝鮮へ出兵した文禄・慶長の役は、秀吉の死によって終息するが、朝鮮王朝にとっては大きな痛手・恨みを残し、また多くの被虜者が奴隷として日本に連れてこられた。出兵時の小西行長と加藤清正の対立に代表される大名同士の確執は、関ヶ原の戦いの東西陣容を左右することになった。大坂冬・夏の陣を経て、豊臣家から覇権を奪い取った徳川家康は朝鮮との国交回復へと舵を切り返す。
はたして、家康の真意はどういうものだったのか。また朝鮮王朝側はどう受け止め、応えたのか。両者の間で対馬藩が秘密裡に国書を改変した経緯とその結末はどういうものだったのか。その後、朝鮮通信使が果たした役割とは何だったのか。江戸時代を通じて友好が保たれた、歴史が物語る「善隣」の背景にある外交かけひきを、双方の立場をふまえ、多角的な視野からわかりやすく解説する。