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●職業は『教育YouTuber』
読者の皆様で、私の職業を耳にした事のある方は少ないかもしれません。簡単に説明すると、動画投稿サイトYouTubeに無料で視聴できる動画授業を投稿しています。動画の累計再生回数は約 2300万回を突破し、多くの子どもたちから支持してもらっています。収入源はサイトの広告収入ですが、広告の基準となる再生回数や、YouTubeの親会社であるGoogleの広告単価は結構変動します。今は妻と息子の3人家族で、正直に言えば少し物足りないものの、そこまで苦労をかけずに済む金額になりました。家族がいるから頑張れる、この仕事から降りられないぞ、という思いを強く持っています。息子はまだ2歳ですが、いずれ大きくなって私の動画を見た時に「この授業わかりやすいな」って言ってもらえたら最高ですね。 ●中学時代に遭ったいじめ 生まれは福岡県ですが、父親が金融関係の仕事で転勤族でした。福岡から熊本へ移り、後に埼玉、そして群馬です。小学生に上がる前に腰を据えたいということで、群馬の明和町という、当時は明和村と呼ばれた片田舎に落ち着く事になります。移り住んだ当時はコンビニもない、田んぼしかないような所で高校までを過ごしました。 村にあったふたつの小学校の全員が、ひとつしかない中学校に通う事になりますが、この時期にいじめを受けました。私にはふたつ下の妹がいて、障害があります。中学校では体操部に所属していたのですが、両親が共働きのために日常生活に支えがいる妹の世話をするのは私の役目でした。すると当然、土日の部活動に支障が出てきます。顧問の先生には家庭の事情を伝えていたんですが、同級生の目には単純にサボっていると映りますよね。結局部活は半年で退部しました。 もうひとつ、中1の半ばくらいから徐々に太ってしまった事も、体操部のくせに何だと色々加味され、いつしか陰口が始まっていました。ある事ない事がクラス内の女子から、学年全体へと広がり、聞こえるように陰口を叩かれる日々。中2〜中3の2年間は、まあ嫌われていたと思います。この頃、正直に言えば自傷行為や、気がつけばビルの屋上の淵に立っていた事もあります。 家族との関係は良好でしたが、いじめについては伝えておらず、両親共に去年初めて、私が配信しているラジオで知ったそうです。妹に障害がある事で、外出先で家族にも冷たい言葉を浴びせられる環境で、兄であるお前がしっかり妹を守るんだよと教えられ、弱音を吐かないと子どもなりに決意していたから、自分の相談はできませんでしたね。 でも、今ではYouTubeのラジオ配信で、いじめをテーマに取り上げた際には必ず自分の体験を話します。今苦しんでいる君も、私のように辛い過去だって、大人になってから笑って話せているバカがいるから大丈夫だよ、という話をするんです。いじめの経験があるからこそ、今いじめられている子の心は痛切に理解できます。死にたいという気持ちも分かる、でもわかったうえで死ぬ事だけは許さない、と訴えられる。その思いは強く発信していきたいですね。 中学卒業式の後の春休みには学校でのストレスがなくなったからか、身長が5センチ伸びて、体重も12キロ近く落ちました。色気づいて眉毛を整えたり、髪も整えたりした結果、生まれ変わったように見た目も変わり、それからは自信もつきました。 勉強面では、親から勉強しろと言われた事はありませんでした。両親ともおおらかな性格で、例えば私が学校をサボりたいと持ちかけたら、普通に許してくれました。何でも好きなようにやれ、ただし他人に迷惑はかけるな、人としての最低限を守ればいいという家庭の方針が、苦しんでいた私にとって袋小路に追い込まれない、大事な救いになっていたと思います。 ●尊敬する恩師との出会い 中学生時代の私は先生が大嫌いでした。太っていた自分をネタにして笑いを取る体育の先生がいて、大人を信じられなくなったんです。しかし高校で唯一の尊敬できる恩師に出会います。その数学の若い先生はとても怖かったんですが、とにかく授業がわかりやすく、板書がものすごく綺麗なんですね。それに、話す言葉が嘘じゃない、本当に私たちを想って言ってくれているのが伝わるんです。怒るのは相手を思うゆえなんだと、その先生を深く信頼できました。その時に、こんなにもひねくれていた人間が、教師ひとりの存在でこれほどにも変われるのか、と気づかされ、教師って面白いかもしれないと高2の冬に先生に進路を相談しました。 金銭的に私立には行けなかった事もあり東京学芸大学を勧められたのですが、当時の私にとって、偏差値が20以上足りないんです。しかし高2の冬から1年間、塾には行かず死にもの狂いで勉強しました。当時は勉強のノイローゼになったくらいに真剣に取り組んで、奇跡的に合格しました。 学部は教育学部・初等数学で、数学専門です。その学部は小中高まで免許は全て取得可能でしたが、私は小学校の教師が希望でした。勉強を教える事に加え、子どもたちの精神的な支えになりたい思いから、子どもたちと話すには学級担任制の小学校がいいと思ったんです。しかしその思いは教育実習で崩れ去ります。相談に乗る暇などさらさらなく、雑談も出来ない教師の忙しさに慄然としました。ベテランはともかく、若いうちは研修、報告書、また研修。これは自分のやりたい教育じゃないと感じ、後の中学校の教育実習でもその思いを強くし、もうダメだと挫折します。
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