第61回 映画評論家、映画監督 水野晴郎さん |
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●映画評論家として独立 三十九歳の時に,日本テレビから「新しい映画番組の解説をやってほしい」と声がかかりました。ユナイト映画に移ってはや十年。ユナイト映画からは引き留められましたが,いろいろな意味でターニングポイントだと思ってお引き受けしました。 ユナイト映画を退社して独立した以上は,単なる映画評論家だけではおもしろくありません。日本へ入ってこない映画を輸入しようと思いつき,まずはフィルム会社を作りました。ヒッチコックの未公開映画や,スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンの未公開作品などをピックアップしたのです。ちょうど当時出来たばかりの岩波ホールで上映作品が足りないということで,海外まで借りに行ったこともありました。 もちろん,それには宣伝も伴います。そこで「いっそ独立した宣伝会社も作ろう」ということになりました。今でこそ,雨後の竹の子のように宣伝会社や配給会社がたくさんありますが,そもそも独立した配給会社や宣伝会社を日本で作ったのは私が初めてではないでしょうか。 ●『シベリア超特急』誕生秘話 映画の解説や批評を三十年間やっているうちに,やはり自分で映画を作ってみたいという気持ちが強くなってきました。そこで,一九九六年に『シベリア超特急』を作ったのです。 『シベリア超特急』の構想はずっと以前からあったわけではありません。たまたま日活の『洛陽』という映画に私が山下奉文陸軍大将役で出演したご縁で,ご遺族の方や当時ご存命だった参謀,副官から山下大将の話を伺っていたのです。軍人でも大変な反戦主義者だったと知って感動しました。 また,山下大将は一九四一年に実際にシベリア超特急でヨーロッパを訪問しています。そこで私はシベリア超特急の話をミステリーにしたら面白いのではないかと考えたのです。山下大将をエルキュール・ポワロないしはミス・マープルにして,彼は動かないで部下が動いて情報を集めて,彼が推理をする。そうすれば私も動かなくていいし,出演も監督も両方できますから(笑)。 私はヒッチコックもミステリーも好きなので,そういった要素を全部この映画につぎ込んでみたのです。そのことをわかってくださる方は大喜びしてくれました。ところが,新しい映画ファンはそれを知らないので,特に若い批評家と称する人たちの評判が悪かったようです。 ただ,みうらじゅんさんや故ナンシー関さんたちが誉めてくれるにつれて人気が上がり,ビデオの売れ行きもよくなってきました。そこで『シベリア超特急2』を作ったのです。今ではシリーズ五作目が完成しています。ちなみにこのシリーズは全七作の予定です。もちろん他の映画もぜひ撮りたいと思っています。映画を作るというのは大変ですが,やはりそれ以上に楽しいものです。 ●ご恩返しをしたい 二〇〇四年七月にオープンした,JR秋田駅のステーションビルがあります。その中に商店や飲食店,ホテルなどと一緒に「パンテオンシネマズAKITA」という映画館も入っています。五つのスクリーンを備えたこの映画館は,実は私が依頼されてプロデュースしたものです。当初は時間的な余裕がなくてお引き受けできるかどうか不安だったのですが,いざ完成すると,今度は映画館経営まで携わることになってしまいました。 私は映画が好きで,これまで一所懸命に映画の仕事をやってきました。宣伝,批評,解説,輸入,配給,製作,監督,脚本,主演。そしてついには映画館まで作ってしまいました(笑)。ちなみに日本アカデミー賞を発案したのも私です。 そうした仕事を私が今までしてこられたのも,これまでに映画からいろいろなことを教わってきたからです。ですから映画界というよりも,映画を愛してくれる人々にこれからもなんとかご恩返しをしていきたいと思っています。
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