第48回 早稲田大学エジプト学研究所所長 吉村作治さん |
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●考古学者に向いていない人とは 考古学者になるのに特別な資質は要りません。誰でもなれます。ただ,結果をすぐに出したい人やリスクを負いたくない人,努力をしたくない人は,なれるけれどもならない方がいいです。そういう人はいらいらしてしまいますから。「一所懸命やっていればいつかはなんとかなるさ」というような大らかな人でないと務まりません。僕は,人生どうせ死ぬまでの暇つぶしだと思っていますから(笑),見つからなくてもどうということはありません。でも,そういう人の方が見つかるんですよ。見つけなければ,と気負うとダメですね。 結果をすぐに出そうとする人は無理があるから,結局,作ってしまうんです。ねつ造事件というのはそういうところからくるわけです。マスコミにどんどん結果を追い求められて,発掘している本人はマスコミに捨てられたくないものだからねつ造してしまう。あれはまさしく,結果をすぐに求めたがる日本社会の欠点です。他の国ではそういうことはありません。だれかに頼まれて発掘しているわけではなく,勝手に自分でやっているので,ジャーナリストも気に入ったものだけを選んで報道しますから。 発掘,イコール考古学だと思っている人が多いようですが,発掘はあくまで手段です。考古学で一番大事なのは,出てきたものをどう考えるかなのです。見つけた時は勝ちではないのです。どうやって新しい理論を組み合わせて立てるかという時に,初めて勝ち負けができるのだけれども,世の中の風潮としては見つけたところで勝ち負けを決めるから,決してそれに乗っかってはダメなのです。見つけたところが始まりであり,その時点ではまだなにも始まっていないわけです。 それから,考古学というのは雑学ですから,いろんなことを勉強して,たくさんのことを知らないといけません。いろんなことに興味を持って,いろんなことに首をつっこんで,人よりも一つでも二つでも多く体験し,知識を持っているということが考古学者にとって一番のいい素質でしょうね。だから,ある教科だけ勉強するのではなく,全教科を勉強する必要があります。歴史だけが得意でも通用しません。今は物理探査や科学探査をたくさん行っていますから,物理や科学や数学などはできなければなりませんし,報告書も書きますから文章力も必要です。 全部が平均的にできればいいのです。逆に言うと,特別なにかが優れている必要はありません。普通の人でいいのです。あらゆることに興味を持って,あらゆることを受け入れるキャパシティがあれば,みんな考古学者になれます。 もちろん,勉強が好きでなければなりません。ただ,今の勉強というのは主に受験勉強という特殊な歪んだ形だから,そういった勉強が嫌いだから考古学ができないかというとそんなことはないです。逆に言うと,そういう勉強が嫌いで,有名な学校に入れなくても大丈夫です。僕の見てきた限り,概ねの人は向いています。 ●目標がシャープな今の学生 エジプトをやりたいと言って僕のところに来る人はみんなまじめだし,情熱もあります。みんな英語もできるし,報告書もたくさん読んでいるので,なかなか優秀です。しかし,学生全体に広げてみると,昔と違うと感じる部分はあります。というのは,昔はみんな夢が漠然としていたんですよ。「社会に出たらなにか偉くなるぞ」という人がいても,偉くなるとはなにかを明確に考えずに「偉くなる」「金持ちになる」「美人を奥さんにする」(笑),などと目標が漠然としていたけれども,今の人は目標が非常にシャープだから,それだけに外れる率が高いんです。目標がもっとぼやっとしていた方が失敗感,挫折感がないんです。僕なんかボーっとしていますから挫折したことがありません(笑)。挫折ってどういうものか知らないですね。失敗はいっぱいありますが,失敗してなんで挫折するのかがよくわかりません。だって,「失敗してよかった。これはやらなくていいんだ」ということがわかるわけですから。焦点をもっと大きく持つ方がいいと思います。 それから,自分で物を考えて,やり方を考えて,結果を見て,そして次のステップへ,というような青図が今の人は書けないですね。人生の図面が引けないです。たとえば,こういうことをしたい,といっても,では,そのためにはどうしたらいいか,さらにその次にはどうしたらいいか,というブレイクダウンができない。こうしなさいと言われれば「はい」とやるけれども,どうしてそうするのかがわからないという人が多いですね。 僕はここまでやってきて満足です。人間は絶対死にますから,死ぬまで好きなことをやれればいいと思います。今まで幸せなのに,これから違うことをやったら不幸せになるかもしれないじゃないですか(笑)。一人の人生としてはこれで十分です
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