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●大家族のやんちゃ坊主 出身は東京の杉並です。その当時は回りに畑があって,今とはちょっと違いました。祖父母,両親,四歳上の姉と私の六人の他に,同じ敷地内に祖父の弟家族が四人住んでいまして,計十人の大家族でした。私は一番年下でしたから,みんなから相当かわいがられていました。甘やかされていたので間違いなくやんちゃでしたね。 学級委員も生徒会長もやりました。ただ,いわゆる優等生とはちがって,勉強ができる生意気な坊主っていうのでしょうか,よく立たされていました。学校の先生から見たら,生意気で「この野郎」と思ったでしょうね(笑)。私はどちらかというと,自分のやりたいことを我慢しないでやったというのでしょうかね。これは今でもそうですが,子どもの頃から自由に育ってきたので,自分がやっていて楽しいことを優先するんですよ。たとえば小学校の時,ピアノを習っていたのがわりと楽しかったものですから,中学生でバンドを組んだり,今でも音楽活動をやったりしています。 将来なりたいものはいつもバラバラでした。小学校の卒業文集になりたい職業を書いた時は,実は野球の選手になりたかったのですが,なれないだろうとわかっていたので書けませんでした。それで,そんなになりたいとも思ってなかったんですが,弁護士か電気工学の技師と書いたんです。なんで,そんなことを書いたかというと,その頃見ていたテレビドラマが原因なんですよ。単なるミーハーです。まぁ,そこでプロ野球選手になりたいなんて書けなかったところが,今から思うとかわいいですよね(笑)。 ●雀荘通いと東大受験 子どもの頃に麻雀をやったのは,正月に親戚が集まった時などの年に二,三回でした。それ以外はやっていませんでした。麻雀よりも先に,祖父から将棋を教わりまして,むしろ将棋を指すことのほうが多かったです。 中学では,当時『ABCゲーム』というのがあって「これだったら麻雀の方がおもしろいよ」と,私が中心になって布教していました(笑)。ただ,他のゲームといっしょで賭けるなんて全然しなかったですよ。 高校生ぐらいになると,かなり夢中になってやっていました。さすがに三年のときは受験もあって友達を家に呼んだりすることも少なくなりましたが,その代わり,クラスの友達と雀荘に行くようになりました(笑)。そもそも高校生を入れる雀荘も悪いんですけどね。そんな仲間ばかりですから,みんなことごとく受験に失敗しましたが,私だけが東大に受かったものですから,後でどれだけみんなからブーイングを受けたことか。私はとんでもなく成績が悪かったんですけど,高校二年生の終わり頃から集中的に勉強をやりました。一日二時間ぐらいが限度でしたけど。その積み重ねでなんとかなったと言うと,なんだかそのころから勝負強かったように聞こえますね(笑)。もっとも私の場合,テストがきらいじゃなかったというのもあります。何点って結果が出るじゃないですか。ゲームみたいな感覚ですね。 大学の授業はおもしろかったものだけはずっと聞き続けていました。ですから,大学に行かないということはなかったです。とりあえず,キャンパスには行ってました。そうやって,自分が好きだから続けてやれるというのは大きいと思うんです。今やっているバンドの活動もそうですよね。楽しむ,「楽」という部分が私の回りにはいっぱいあると思います。
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