第31回 寄席文字書家 橘 左近さん

四十年の歳月をかけ,落語発祥から二百年間の噺家の系図を集大成した「東都噺家系図」(筑摩書房刊)
師匠の生前の夢を叶える
 昭和四十年代に入ると,戦後の第二次寄席ブームが起きて,各大学でも落語研究会の活動が盛んになってきた。落研の連中に懇願され,師匠と私ともうひとり,右京という兄弟弟子三人で寄席文字教室も開くようになったんですが,これが初回から大好評で,学生以外にもサラリーマンや主婦も参加してきた。以来,毎月第二日曜日に開かれる寄席文字教室は,今日にいたるまで三十年以上つづいています。この教室からは橘流を名乗ることが師匠から許された十五人の直弟子も生まれました。弟子の中には,現在,市役所の部長もいれば,大学教授になった人もいます。みんな私同様に,寄席文字の魅力に取り憑かれた連中ばかりなんです(笑)。
 師匠は寄席文字橘流家元として,平成七年に九十二歳で亡くなりましたが,生前,冗談交じりに言っていた「葬式は芝の増上寺で,葬儀委員長は柳家小さんにしてくれ」という夢も何とか叶えることができ,千人以上の参列者もありました。こんなことは私が弟子入りした当時には考えられなかったことです。いつもふたりだけだったですからね(笑)。葬儀が無事終わったときには,やっとこれでわずかながら師匠に恩返しができたと思いましたね。

落語からすべてを学んだ
 四十年ほど,寄席文字を書いてきましたが,いまだに筆を持つと緊張します。最後のとどめを刺すまではまったく息が抜けません。
 しかし,この仕事を選んで悔いはまったくないですね。志ん生,文楽など,大名人らの名前を書き,噺を身近に聞かせてもらえたんですから。いまの人は書きたくても書けませんからね(笑)。自分の書いためくりが上がる。お客さんは目をこらしてその文字を凝視する。そこへ円生が出囃子にのって颯爽と高座に上がってくる。この喜びというものはたとえようがありません。
 進路指導の雑誌ということで,若い人たちにアドバイスをするとすれば,好きなものを見つけたら,とことんこだわってほしいですね。憧れるものがあったら血眼になって憧れ,努力してください。「努力したって花が咲かない人も多いんだよ」なんていう大人の意見なんて無視すればいいんです。途方もない夢を描けるということが若さの特権なんですから。
 私の夢ですが,もっともっと寄席が盛況になってほしいと思っています。愛情や辛苦など,人間の刹那刹那を織り込み,人を泣かせたり笑わせる落語は,まさに人間の生き方を教えてくれます。私なんか落語からすべての知恵を学んだようなものですからね(笑)。
(構成・写真/寺内英一)
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