第22回 人形作家 石井美千子さん

これからも時代を超えて伝えられる人の姿をつくり,求めていきたいですね
自分さがしとしての人形づくり
 いろんなことが一段落して,下の子も四歳ぐらいになった頃でしょうか,「もう一度,自分が本当にやりたいことに挑戦したい」という気持ちが心の奥から湧いてきました。それは「人形をもう一度つくりたい」という欲求です。結婚前,もともとは好きな絵のモチーフにするために始めた人形づくりだったのですが,いつしか絵を描くことよりも人形づくりそのものに夢中になっていました。当時はノーマン・ロックウェルという古き良き時代のアメリカを描いて有名な画家の絵を,正確に人形にするといったことをしていたのですが,こんどは自分だけのオリジナルな人形をつくってみたいと考えるようになりました。
 それからの二年間は縫製の内職の合間を縫って,独学で人形づくりのトレーニングを始めたんです。幸い五月人形で有名な岩槻市のそばに住んでいたこともあり,桐粉という桐の木を削ってつくるすばらしい素材にも出会うことができました。
 一方の題材探しですが,最初に思い浮かんだのが管理社会,競争社会の中で,悩み苦しんでいる四十代,五十代の人たちのことでした。「彼らが見て何かホッとできる人形をつくりたい」という思いがありました。また,ほぼ時を同じくして優等生だった小学生の娘が不登校になったこともあり,「貧しくても人々がいきいきと生活していた時代。子どもが子どもらしく生きていた時代を,今の子どもたちやかつての子どもたちに感じてほしい」という思いが強くなり,昭和三十年代の庶民の暮らしを中心に「お母さん」や「友だち」や「家族」などをモチーフに人形づくりをスタートさせました。

ひとり歩きを始めた人形たち
 おかげさまで初めて開いた個展が好評のうちに終わり,偶然にも素晴らしい人たちとのめぐり合いを経て,その後も私のつくった人形たちは「昭和のこどもたち」という名称で日本中の美術館やデパートに招かれては,会いにきたかつての子どもたちに「ほら笑って,人はみな同じだよ」と精一杯の笑顔をふりまいています(笑)。
 お客さんに尋ねると,みなさん口コミで知って訪れる人が多いんです。人形を見てはホッとした笑顔を見せる人もいれば,涙ぐむ人もいて,こうなると彼ら人形たちは作者である私自身を置き去りに,見る人の思いを糧としてどんどん成長し,ひとり歩きを始めているようでもあります。彼らの母親である私としてはうれしい反面,取り残されたようでちょっと複雑な気持ちですね(笑)。
 これまでの人生を振り返ると,心に描いたものをかたちにあらわすことの楽しさが,いつしか知らず知らずのうちに夢を追う力となって,自分自身の未来を切り拓いてくれたように思います。
 人形「昭和のこどもたち」は終演となりましたが,子どもたちはブロンズによる彫塑作品となって新たな夢を生みの親に残してくれました。それらは今,かつてのわんぱくでたくましい,あるがままの少年少女の姿となって岐阜県高山市の美しい自然のもと,りんとして立っております。私自身は現在,自然に恵まれた環境の中で季節の移ろいに目を奪われる日々を過ごしておりますが,持って生まれた性なのでしょうか,次のテーマの構想がぼんやりと脳裏をよぎることがあります。それらは「明るくたくましく働く人たち」の姿です。「大地を耕す人」や「ものづくりに汗を流す人」など,人は仕事の中に自分の価値や存在を見い出したときに,生きる力や意欲といったものが,生まれるのではないかと思うからです。
 子どもの人形から成長したおとなの人形へ,毎日語り合う日々がまたいつか訪れそうな予感がします。こんどはゆっくり,質の高い仕事をしたいと思っています。
 だけど,これって,結局自分自身とお付き合いする作業なのかもしれませんね(笑)。
(構成・写真/寺内英一)
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