第2回 マンガ家 北見けんいちさん |
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●まわりから支えられての一本立ち 「釣りバカ日誌」の連載が始まったのが四十歳のときで、それまでアシスタントをやっていました。四十歳にしての一本立ちというのは遅いほうです。でも、あせりのようなものはなかった。「このまま一生アシスタントのままでもいいや」と思っていたんです。雑誌のイラストなどの仕事もいっぱいあったし、漫画のほうも単発で描かせてもらっていましたからね。同年齢のサラリーマンよりも収入が多かった。本格的に漫画を描こうという気がおきたのは、結婚して子どもができた三十五、六歳のときです。それで友人の編集者に「漫画描かせてよ」というと「いいよ」とふたつ返事でね(笑)。新入社員の頃から付き合っていた人も、十年も経つと中堅社員になって、自分でページの割り振りができるようになりますからね。「しょうがない」と仕事をくれたんだと思います。いま振り返ればまわりから支えられていたんです。「釣りバカ日誌」で原作者のやまさき十三さんと組むことになったときは、宝くじに当たったような気がしました(笑)。自分のオリジナル作品には限界が見えていたんです。それまでぼくが描いていた漫画には人の良い善人しか出てこなくて、なんとなく切れ味が悪かった。やまさきさんの原作を読んだときは面白かった。自分には思いもつかないシビアなシーンやセリフがぽんぽんと出てくる。だからといって、やまさきさんが悪人というわけではないですよ(笑)。連載開始から二十年。自分にとっては、あっという間でした。いまいちばん心配しているのは、ぼくとやまさきさんの健康状態。会うたびに「体には気をつけてよ」とお互いに励まし合っているんです。 ●かっこいい男でありたい 映画「釣りバカ日誌」のほうも、現在十二作目を撮影中。最初の頃は「男はつらいよ」と二本立てで、「寅さんと一緒に自分の漫画が原作の映画が上映されるなんて」と感動しました。映画には無理矢理たのまれて一回だけ通行人役で出演しましたが、気恥ずかしかったですね。西田敏行さんや三国連太郎さんにも会いましたけれど、とても気さくないい人たちでした。でも三国さんは役作りに徹する人だから、悪役のときは本当に悪い人になるらしく、ちょっと近寄れない雰囲気になるそうです。その点、スーさんはいい人で良かった(笑)。三国さんから聞いた話では、最近、街を歩いていると、「スーさん!」と声をかけられるんだそうです。自分も三国さんのように、七十歳を越えてもかっこいい男でいたいと思いますね。 ●漫画家という仕事は甘くない 漫画家を目指そうという子どもたちにひと言アドバイスをするなら、「漫画家という仕事は甘くないよ」ということですね。最低限、絵は上手じゃないと話にもならない。漫画家というのはある意味で職人みたいなところがあって、若いうちから一心不乱に絵を描く訓練をしておかないといけません。はっきりいって、よほどの根性がないと受験勉強と絵の両立はむずかしい。それでも漫画家になりたいと思ったら、親の反対ぐらいで断念してはだめです。ぼくが「フジオプロ」に入った当初、「世間様に顔向けできない」と嘆いていた母親でしたが、そのうち「おそ松くん」がテレビ放映されて、日本中の子どもに「シェー」が流行りだしたところ、急に態度が変わってきた。「うちの子はあの赤塚不二夫先生の弟子なんですよ」と近所に自慢してまわっていたからね(笑)。 ●漫画を描くことは読者との勝負 これからの漫画にはコンピュータグラフィックスなどもどんどん入ってくるでしょう。二十一世紀の漫画がどうなっていくのかは誰にもわかりません。ただ、どんなに技術が進歩しても、最後にそれを操るのは人間です。いかなる状況になっても柔軟に対応できるしなやかな感性さえあれば、恐れることはありません。ぼくにとって漫画を描くということは読者との勝負でもあります。これからの人生、いままで生きてきた時間よりも短いですからね、だからこそ絶対に手は抜きたくない。読者のみなさんから「北見けんいちの漫画が読みたい」という声があるかぎりは描きつづけていきたいと思っています。そのあと? まあ、釣りでもしながら考えます(笑)。
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